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「せ」はセレッソ大阪。

今日からまた、ブログも平常運転の予定。


で、セレッソ大阪。

以前も書いた話ですが、出会いは他愛ないもので、
「ジャイキリ」読んで、サッカーにはまって、最初に見たJリーグの試合がセレッソ対ガンバで、
どこかチームを応援するなら、家に近いほうのセレッソを応援しよう、が今のセレッソとの
最初の出会いでした。



2011年の最終節が最初のスタジアム観戦で、
その年に移籍した乾貴士や、その前に移籍した香川真司のことなど、まったく知らず、
この時は3シャドーの清武とキムボギョンがお気に入りでした。

この時、7-1で勝ってなかったら、もしかしたらセレッソにはまる速度は遅かったかも、
と思ったりもします。


ただ、この時点でサッカーについてはずっぽりと、はまっていましたから、
サッカー関連の本は読み漁っていましたけど、
その中の1つ、エルゴラのサッカー年鑑でこの後移籍する清武や、ボギョンではなく、
丸橋祐介を大きく取り上げてたことに驚きでした。

この当時は、たくさんいる選手の1人ぐらいとしか認識してなくて、
(まあ、セレッソの試合をちゃんと見始めて1か月程度ですから)
その中で左サイドバックのこの選手がなぜ取り上げられるのか、
実際は、パス交換や攻撃の起点となる部分が多いからなんですけど、
まだ有名選手しか知らない自分にとっては、そうなのかなあ、
でもそうなんだろうなあ、というよくわからない感想で見ていました。

今となっては、セレッソで絶対の左サイドバックとして君臨する大好きな選手ですけど。
まあ、ほとんどの選手を知りませんでしたから、当時のことを思うと、
無理もないですし、今となてっては、ほんとセレッソ愛が大きくなっています。



そのあとすぐの2012年からファンクラブに入って、年間パスポートも買って、
スタジアムの片隅(カテゴリー4)で小さな声で控えめな応援をしながらも、
足しげくホームゲームに駆けつけてました。

今も変わらず、よく食べるスタジアムグルメはホルモン丼。

好きな選手を一人に決めきれず、ユニフォームの購入は断念していましたが、
この2012年に清武がドイツに移籍、ラスキヨゲームの浦和戦は、
大阪では珍しく地上波でテレビ中継もされました。

また、この年は、清武、蛍、扇原に期限付き移籍中の健勇、
さらに韓国代表としてキムボギョンがロンドン五輪に出場となり、
スタメン4名+控え1名が不在となる厳しい状況でして、
ソアレス監督が途中解任、2011年まで指揮を執っていたレヴィーが返ってくるという
サプライズもあったりでしたが、充実した一年目となりました。

清武移籍後に、ボギョンの移籍も決まり、急遽行われたお別れ会は、
平日でしたが夏休みを急いで取って、南津守まで行きましたね。

ここでユニフォームではないですが、
ボギョンのコンフィットTシャツを購入したのが、初めての選手のグッズになります。

ボギョンのお別れ会では、一人ずつ握手してもらい、
加えて銅メダルも触らしてもらいましたが、
最後の胴上げの輪の中には入り込めず、その外周で動いてました。

この時の地味に悔しい思いは、別の機会でリベンジしてます。


ちなみに、この年に徳島から帰ってきた柿谷曜一朗のことは全然知らなくて、
後半途中交代で出場したときに、思いっきり間違えて「播戸~~~!」と叫んで、
恥ずかしい思いもしましたが、今となってはいい思い出です。

あと、この年の外国人選手は、ケンペスとブランキーニョ(2013年、ブランコに登録名変更)。

ケンペスは、シュート決定率が非常に悪く、一部でケンペス師匠とまで言われてましたが、
どうもセレッソとの相性が悪かったようで、翌年ジェフに移籍したときは、
J2ながらも得点王になってました。

ブランキーニョは、10番を背負ってましたが、鳴かず飛ばずでそうそうに移籍。

逆に、レヴィーと一緒のタイミングで入団したシンプリシオは大当たり。
清水からの途中加入の枝村とともに大活躍で、
レヴィーがこの年初めて指揮したアウェイ神戸戦は、
丸ちゃんの退場で10人となったにもかかわらず、2-0を逆転するという
非常にスぺクタルな試合だったことを今でも覚えています。

試合終了後、ロッカーから出てきた裸足の丸ちゃんの安堵の表情も忘れられませんでした。


何にせよ、外国人選手がフィットするかどうかは難しいところというのは、
知識としては知っていましたけど、それを実感することができたわけです。



2013年は、セレッソがイケイケどんどんの年で、
曜一朗、蛍、扇原がA代表に招集されて、かつアジア大会で、
曜一朗が得点王、蛍がMVPとまさに注目の的となりまして、
公式戦のチケットは完売するわ、セレ女ブームは来るわで非常ににぎわった年でした。

リーグ戦も、優勝争いに加わりながらも4位と言う成績で、
俗に言われるジェットコースタークラブの名に恥じない活躍でした。
(いい年と悪い年の、差が激しいクラブという意味です)


外国人選手は、前年に引き続き番長のシンプリシオに、期限付き移籍から戻ってきたブランコ、
そしてFWのエジノ。

エジノもなかなかゴールを量産できず、苦労してたのを覚えています。
それとブランコもなかなか出場機会を得られず、退団の運びに。




この年か、この前年ぐらいからか、サポーターの活躍についても、知るようになりました。

スタジアムに早くに行って、弾幕を準備して、試合終了後は遅くまで残って、後片付け。
アウェイの試合にも帯同し、時に選手が退団するときは、お別れを言いに行き、
外国人選手や監督であれば、空港まで行って別れを惜しむ。

試合中は一時も休まず応援し続け、新しい選手が加われば、
その選手のチャントを考え、それを皆に広め、雨が降ろうが風が降ろうが一生懸命に応援する。


自分がサッカーを見てたのは、最初は新聞の試合結果、
その後はネットの記事、公式サイト、雑誌などの記事でしたが、
選手以外の、クラブスタッフでもない人間が、自分の応援するクラブのために、
必死になっていることに深く驚きました。


そして、自分もその中に加わりたいけど、いきなりは無理だから、
せめて何か手伝うことはしよう、そう思いゴール裏に行くようになり、
よりセレッソに深くかかわりたいとも思うようになって、
開幕前の体制発表会や、事業部意見交換会などにも行くようになりました。

体制発表会は、新加入選手のお披露目とあいさつや、スローガンの発表などに加え少しの質疑応答。

事業部意見交換会は、セレッソの事業部が行ってきた活動。
主には営業活動や、ファンクラブ、入場者数についてと、
スタジアム内外での活動などの報告とクラブに対する強化以外での要望を集めることなど。


まあ、試合観戦以外の場所にも行くようになった訳で、ほんとセレッソが一番ですね。
良し悪しありますが、ただ何か好きなことに一生懸命になれることは、素晴らしいと思います。

自分で言うのもなんですが。



2014年は、フォルランが来たけど、J2降格と言うネタとしか言えないような1年。

ブラジルワールドカップイヤー。
蛍は今や代表のスタメンとなりましたけど、曜一朗はあまり出場できずもあって、
スイスのバーゼルへ移籍もあった年。

曜一朗の最後の試合、泣きながら別れの言葉を言う曜一朗に対して、
ゴール裏から「泣くな!曜一朗!」と号泣しながら叫んでました。

二度の監督交代もあって、ひどい1年を経験しましたけど、
降格が決まったときは、覚悟が付いていたんでショックは大きくなかったです。

それにJ2に行こうが、さらに降格しようが、
自分がセレッソを応援し続けることには変わりないから、
来年はよりもっと大きな声で応援しよう、そう思った年でした。

まあ、悔しいのは悔しいですけど、
レヴィーが培ったチームの経験値がゼロになってしまったわけですから、
そして新たなチームへと成長していく中で、直ぐにそれを変えてしまったんで、
いくら蛍やボギョンの現役代表選手がいて、フォルランやカカウなどのビッグプレイヤーがいても、
チームの組織力は無い状態でしたから、そりゃうまくいかんわな、とよりサッカーたるものを
理解できた年でもありました。



そして2015年、J2での再出発はご存知の方も多いでしょうが、あいにく昇格ならず。

上位にはいたんですけど、自動昇格圏内に入れず、
最終的にはプレーオフの決勝で福岡に同点にされ、リーグ戦順位で下のセレッソは昇格ならず、
という非常に悔しい結果となりました。

さすがにこの時は悔しかった。
1点で天国と地獄に代わる、プレーオフの恐ろしさを痛感しました。

あと、初めてスタジアムで観戦した2011年の試合が福岡戦でしたので、
その福岡とJ1をかけて争うことに、何か感慨深いものも感じました。

あの時は7-1で勝ったのに、4年後に1-1で試合は引き分けても、勝負に負けるという悔しさ。


それでも、この最後の試合、スタジアムで入場者に手渡されたピンクの旗を、
配ったり回収したりする作業を手伝いながら、
多くのサポーターさんは泣き言も言わず、せっせと準備や後片付けをしてました。

そして、遅くなった帰り時間、「また来年頑張りましょう」と言って終わった12月最後の試合。

どうも内気な性格なもので、毎試合ホームゲームには行ってますけど、誰ともしゃべらず、
ただひたすらに大声で応援してますから、こうやって少しでも他のサポーターさんと何か、
一緒に作業ができるのはうれしく感じます。


他にもこれまで、ビッグフラッグの出し入れや、コレオグラフィーの準備と後片付け。
エンブレムシートの修復とか、参加できるものは極力参加してます。

それもこれも、セレッソと言うクラブが好きだからなんですよね。
無償の愛、報酬なんてもちろん出ませんし、不要です。

ただ、チームを後押しで来たらそれでいい。
自分たちの応援が選手の力になってくれれば満足。


そう、ひょんなことからサッカーに興味を持って、その面白さに気付き、
チームの浮き沈みを見てきた僕は、知らず知らずのうちに、サポーターになっていました。



少し前に、中学からの腐れ縁であるトリヤマに言われて、確かにそうだなと思いましたが、
「中学の自分(僕)が、今の自分を見たら驚くやろな。サッカーを応援してるなんて」

本当にそうです。

小学校、中学校とまったく運動もせず、ただゲームばかりしてきたような自分が、
今はサッカーを見に行って、フットサルまでしてる。
(フットサルはトラップもまともにできず、誰よりも走る頑張り屋さんと言われるだけですが)

スタジアムで一緒にゴール裏から応援する友人は皆無ですが、
サッカーのお陰で知人友人はできました。



「書を捨てよ、街に出よう」じゃあないですけど、
「サッカーを見に行こう!」は、僕にとって最高の言葉です。

そして、それがセレッソの試合なら、極上のものになります。


今年、2016年もあとわずか、なんとか上位に位置していますが、
余談の許されない状況にいるセレッソ。

J3の試合も見れて、最高の週末を何度も味わっていますが、
どうしてもJ2は注目度が低いし、メディアの取り上げ方も少ないので、
今年こそはJ1に昇格できるように、いつもと変わらずですが、応援を続けていきます。



以上、セレッソでした。





追伸:

2015年に鳥栖へと移籍となった楠神順平のお別れ会では、
胴上げの中心に入ることができました。

移籍となったことは寂しかったですが、ボギョンの時にできなかったことのリベンジができて、
良かった。


他にも、移籍した選手。
村田和哉、船津、キムソンギ、吉野、播戸、松井謙也、井上翔太、南野拓実、枝村、
クソンユン、平野甲斐、黒木、小松塁、永井龍、扇原貴宏、そしてボギョンと清武。

僕がセレッソを応援してから移籍した選手はまだまだいますが、
みな頑張ってほしいです。そして対戦するときは大きな拍手で迎えます。

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