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「し」はJリーグです。
他にも「し」なら、ジョジョの奇妙な冒険、死んでもやめんじゃねーぞ、ジェイデッカー、
真魔神英雄伝ワタルとか、いろいろあったんですが、より多くを語れそうな言葉は、
このJリーグでした。
Jリーグ。
1993年開幕だったでしょうか?
当たってますね(ググりました)。
当時10チームでスタートした日本のサッカーリーグは、
23年目を迎えた今年、J1、J2、J3までのリーグがあり、全53チームがしのぎを削っています。
J1で18チーム、J2で22チーム、J3で13チームとU-23の3チーム。
このU-23は、セレッソ、ガンバ、FC東京の主に23歳以下の選手で構成されたチームで、
選手に試合経験を与えるために作られたチームです。
キーパーを除いて3名までのオーバーエイジ枠もあって、普段スタメンで参加できない選手や、
ケガ明けのベテラン選手などが出場しています。
まあ、海外のリーグに比べるとまだ少なかったりもしますが、
それでもずいぶんと賑やかになっています。
そんなJリーグですが、サッカーに興味がなかった僕にとっては、
開幕したときも、プロ野球以外のプロスポーツができたんだ、ぐらいの認識しかなく、
今となっては非常に恥ずかしいですが、水曜日と土曜日しか試合がないなんてラクしてるよなあ、
なんて思ったりもしていました。
サッカーは、非常に激しいスポーツで、試合を週1回のペースで行うのと、週2回のペースとでは、
選手のコンディションが落ち込むことに、サッカーに詳しくなってからやっと知った次第で、
まあ無知なわけでした。
そんな感じで傍から見ていたJリーグ。
それでも三浦知良、ラモス瑠偉とか、有名選手のことは知っていました。
大学のコンビニでのバイト先の先輩の石野さんは、
中田がほとんど年も変わらないけど海外で活躍することに興奮していましたけど、
元来サッカーに興味のない自分にとっては特に返す言葉もなく、生返事をしてたぐらいです。
ワールドカップ出場を機に、頻繁にニュースでも取り上げられるようになって、
当時の日本代表の宮本恒靖が、医者かサッカーのどちらか悩んだ末にサッカーを選んだと聞いても、
一人でも患者を救う医者の道のほうを取るべきだろう、と
失礼極まりないことを思ってたりしました。
そういえば、通学途中に見えるヤンマースタジアムの屋根も、大阪ドームかと勘違いしてたりで、
サッカーに対する知識も好意も、共感すらもなかった自分です。
それが『ジャイアントキリング』に大ハマリになってから、すっかりサッカーに魅了されて、
そしてこの年の3月にちょうどJリーグの開幕戦がNHKで中継されましたので、
早速テレビで見ることにしました。
試合は、セレッソ大阪 VS ガンバ大阪。
大阪ダービーです!
と言っても、この時はそんなことまったく知る由もなく、
あまつさえ、ゲストで登場していた選手が海外に移籍していながらも現在ケガで休養中ときいて、
「大丈夫かいな、こいつは」と、とてつもない上から目線でいる始末。
その選手が、実は元セレッソの8番で今も日本代表で活躍する、香川真司でした。
むろん、テレビ画面の向こうの選手がどういった選手かなんて全く知識はなく、
この日に見た大阪ダービーについても誰一人選手のことを知りませんでした。
ただ、Jリーグのクラブについては、ゲームのお陰もあって多少は知っていましたし、
セレッソとガンバについても当然チーム名はわかっていました。
この時、
「これからサッカーを見ていくんだから、1つ好きなチーム、応援するチームを決めよう」
と思いました。
ぜいたくにも大阪には2つもチームがありますから、どちらにしようか、
最初にJリーグに加盟したガンバか、はたまたセレッソか。
それなら、吹田という遠い場所のチームより、自分の家に近いセレッソを応援して行こう。
こんな些細な理由が、僕のセレッソを応援するきっかけでした。
試合はと言うと、2-1でガンバの勝利。
まあ、内容も理解せず、攻めてるぞ、攻められてるぞ、
ゴールを決めたぞ、決められたぞ、ぐらいの感想。
でも、途中で遠藤保仁のPKを、キム・ジンヒョンが止めたとき、
サッカーに無知な僕でもPKを止めることは非常に難しいと知っていましたから、
「凄いキーパーがいるな、試合には負けたけど、やっぱりこれからもセレッソを応援して行こう」
もともと、そんなに思い入れもない状態ですし、負けた悔しさは皆無で、
ヤットとジンヒョンのことも、この時は名前すらも知らない状態でしたから、
とりあえず、逐一ネットとか新聞とかで、セレッソを追っていこう、
それが僕にとってのセレッソに対しての、Jリーグに対してのアプローチでした。
それからすぐでした。
この年は2011年。
そして3月。
東日本大震災。
大阪にいる僕には、東北の被害は映像だけの世界で、
激しい爪痕も、被害の状況も真に実感することも、理解することはできず、
ただ早く復興してほしい、被害にあった人が元の生活に戻ってほしい、
そういう思いでいるだけでした。
ですが、これまでの僕であれば、それで終わっていたと思います。
ただ、この年から見始めたJリーグが、震災によって中断となったことで認識が大きく変わりました。
日常の生活できない人がいること。
それは言わずとも理解できるのですが、サッカー選手がサッカーをできない状況にいる。
それに驚きました。
当然のことなんですが、サッカーに興味を持つまで、
そんな当たり前のことにも気付きませんでした。
そこからJリーグ再開までのことは、安易には容易には書けませんが、
晴れて再開となったときに、テレビでもその中継をしてくれました。
当時、被害の大きかったベガルタ仙台の試合。
そこで試合には敗れたものの、ベガルタの監督が涙して、
またサッカーができることへの感謝を述べていました。
大人の男の人の涙です。
きれいな涙です。みんなの幸せを願って流す涙。
その人は、リオオリンピック代表監督を務めた手倉森監督。
当時、仙台の監督でその人が大勢の人への感謝を述べられたことに、深く感動しました。
そう言いつつも、自分は震災に対して、何かしたのかと言うとまったくです。
ボランティアをしたわけでもなく、救援物資を送った訳でもなく、
ただ被害の状況を見て、こんなことが起こって嫌だなあと、
無責任と言うべきか、そんな気持ちで見ていただけでした。
ただ、そんな震災を経て、非常に迅速な対応と大きな助力を経て再開されたJリーグに、
人の力と思いとを感じました。
(ちなみにスタジアムに行くのはまだ先ですが、
行くたびにある義援金募金にはわずかですが、毎回募金するようにしています)
この経験が無かったら、もしかしたらそこでサッカー熱は、
単に知識の収集だけで終わっていたかもしれません。
ですが、この手倉森監督の姿と、それからのJリーグを見ていて、
「そこに人がいること」に共感を覚えました。
Jリーグ。
何とか再開の目途も立ち、時には東北復興支援の親善試合も開催され、
Jリーグの楽しさとありがたみも感じつつ、僕自身はまだセレッソの試合結果と、
選手のことを少し知るぐらいでしたが、それだけ興味があるならスタジアムに行こうかと、
中学時代からの友人である鳥山が誘ってくれました。
普段どこにも出かけない、日曜日にダイエットのためにジムに行って、全然痩せないけど、
あとは月に1回はTRPGに出かけるぐらいで、それ以外はもっぱら家でゲームするだけの、
日にも焼けない色白の小太りの僕でしたが(僕ですが、とも言える)、
これについては願ったりかなったり、できれば早々にとも思っていましたが、
向こうの都合が合わずで、10月の予定が11月に、11月の予定が12月となって、
ようやくスタジアムに行くことができたのが、2011年のJ1最終節、
セレッソ大阪 対 アビスパ福岡戦でした。
(これがサッカー初観戦で、それから4年後にも同じチームが1年の最後に対戦するわけで、
偶然とはいえ非常に感慨深いものを感じたことは、まだ先の話です)
長居駅近くの喫茶店で、開始2時間前に集合。
2時間前と聞いて、なんでそんなに早いんだ、何するんだといいましたが、
早く入って待つもんだと言われたら、こちらとしては全く未経験ですから、
そんなものかと納得して、長居駅に。
当日は小雨が降る中、試合会場のキンチョウスタジアムに向かうと、
セレッソの試合に見に行くらしき人がちらほら。
セレッソカラーであるピクの傘をさしている人を見て「いいなあ」と言う鳥山に対して、
グッズとしてあるのかが分からず、ただ自分もセレッソに関する何かを持たないものですから、
「そうやなあ」と言いながら歩くと、先には大勢の人が。
そして知識だけはすでにあって知っていたスタジアムグルメの屋台もたくさん。
まずはチケットを購入。
初めて見る試合で座る席もよく分かっておらず、高すぎる席もあれ何で、
できるだけ真ん中のほうの安い席と言うことで、アウェイ寄りのカテゴリー4を購入。
そして早速セレッソグッズも物色。
周りがピンク一色なのに対して、自分は何も持たない訳ですから、
とりあえず雨もしのげるピンク色と言うことで、セレッソのポンチョを購入。
(今でも重宝しています)
これでようやく自分もセレッソファンの一員になれたと、心の中での満足感。
そして、まだまだ試合開始までは時間もありますから、
喫煙所で煙草を吸いつつ、滅多にしない自分の写真を鳥山に撮ってもらうという、
何とも言えないはしゃぎよう。
スタジアムグルメについてもすでに目星はつけていまして、ホルモン丼500円を購入。
歯ごたえのある肉に舌鼓を打ちつつ、小雨に振られながらもスタジアムへ。
開始1時間前を過ぎたあたりから選手の練習開始。
この時、初めて見た互いのゴール裏からの大声援。
これがスタジアムかと大興奮する僕に対して、何度もサッカーを見たことのある鳥山は、
やさしくレクチャー。
いわゆる選手の応援、チャントについても、試合中のチャントや掛け声についてもまったく知らず、
ただただ興奮の中にいて、スタジアムの1つ1つに感動していました。
ここまで感動するのは、スタジアム観戦までの期間が長かったこと、
セレッソを応援しようと決めた2011年の第1節から来て、ようやく最終の第34節までと、
待ちに待ったスタジアム観戦と言うことがあって、
それとセレッソについての小さいけど好きだという思いがあったからこそ、いろんなことでも、
ここまで感動で来たんだと思います。
そしてついに試合開始。鳴り渡るアンセムだって当然知りませんし、
タオルマフラーを掲げることも知りませんし、そもそも持ってもいません。
もう周りのファンやサポーター一挙手一投足からして初めてのことですから、
席に座りながら心の中では右往左往。
さらに主審の笛が鳴り試合が始まると、セレッソの怒涛の攻撃で、
目まぐるしく時間は過ぎて、結果は7-1の大勝。
初めてのスタジアム観戦の試合結果が7-1。
鳥山曰く「大当たりの試合」と聞いても、どれだけすごいことかわからず、
ただただ終始興奮しっぱなし。
これだけすごいことを体験してしまうと忘れられなくなり、
そしてもっともっとスタジアムに来たくなる。
でも2011年のJリーグは今日まで。
「次は来年なんて」と残念に思いきや、天皇杯がありました。
天皇杯と言われても、この時はまったく分かっていませんでしたが、
まだセレッソの試合が見れると分かれば、直ぐにチケットを購入。
仕事はしてますが、ほとんど引きこもりの僕が、
サッカーを馬鹿にさえしてた僕が、
この時から一人でサッカーを見に行くようになりました。
今思えば、確かに大当たりの試合でした。
ここまでの大量得点は、国内外問わず珍しいです。
先日の天皇杯1回戦のセレッソの対戦チームは、社会人クラブのアルヴィレオ高松でしたので、
実力差が激しく10-0まで行きましたが、
チームの力の差がある天皇杯でも稀な得点差です。
それを始めて行ったスタジアムで見れたんですから、幸運もあったと思いますが、
何よりセレッソに惹き込まれる、吸い込まれると言ってもいいぐらいのことがあって、
続く天皇杯も毎試合行ったのですが、最後は惜しくも準決勝で敗退。
その時、「また来年もセレッソを応援しよう」と決め、
ファンクラブに入って、年間パスポートを購入しています。
12月にサッカーを観戦してから、翌年にはファンクラブに入るという、
我ながらあきれるぐらいのはまりっぷり。
そこからは何度も言うように、ほぼ毎試合ホームゲームに行ってます。
ちなみに、最初はメインスタンドのやや端っこよりのカテゴリー4の席。
ゴール裏で見るという意味、行為を理解しておらず、一人で寂しく応援してました。
この席で大声を上げて応援する人はいませんから、
それでも何とかセレッソが勝つようにと陰ながら応援していました。
それがゴール裏に行くようになったのは、合コンで知り合ったサッカー好きの娘から、
「そんなに好きならゴール裏がいいんちゃう」と言う言葉。
と、言われても、まだセレッソのサポーターとは呼べない自分が、
ゴール裏に足を運ぶなんて、そんな大それたことは。
そう思っていましたが、体験してみるのも悪くはないかと2012年の天皇杯で、
年間パスポートの使えない試合でしたので、そこでゴール裏に行ったとき、
ここまで思いっきり応援していいのか!と歓喜しました。
こうなると早いもんです。その翌年から、年パスはゴール裏。
それからは毎試合、ありったけの声で応援しています。
そしてセレッソはセレ女ブームがあったり、人気に火がついてチケット完売が何度かあったり、
フォルランが来たり、J2降格があったりと、たくさんのことがありましたし、
これからももっとたくさんのことがあって、それを僕は経験していくと思います。
シャイな性格なんで、スタジアムで一緒に見る人、応援する人はいませんし、
(少し知り合いはいますが、ゴール裏にはいません)
ゴールした時に、周りはハイタッチしてる中、自分はポツーンとしていますが、
それでもJリーグのスタジアムが楽しくて仕方ない。
J2に降格したことは残念ですし、1年でJ1に昇格できなかったことも悔しいですが、
J2のチームをたくさん見れたことは良いことだと感じています。
少ないながらも必死で応援するチームもあれば、逆に浦和のように迫力あるチームもあります。
時には相手チームの選手に拍手を送ったり、相手チームのチャントを歌って称えたり、
(僕はようやらないけど、野次ったりブーイングしたり)
これはスタジアムに行かないと感じられないことです。
負けたときは、自分の応援が悪かった、手を抜いたんじゃないかと悔やんだり、
買ったときは大勢で喜んだり、こんなに一喜一憂できることは、
大げさな話ですが、人生においてもそうそうありません。
いやらしい言い方になるかもしれませんが、
数万円と言う単位ではなく、数千円あれば月に2回はホームスタジアムでこの喜びを味わえる。
むろん野球であればもっと回数は多いでしょうが、
この絶妙な回数も非常に味わい深いものと考えています。
きっかけはほんの些細なことでした。
マンガを読んで、ちょっと興味が湧いて、スタジアムに行ったらすごい試合が見れて、
そこから少しずつですが確実に愛着が増えて、今や人生の一部になっている。
こんなJリーグに出合えて、本当に幸せな毎日を送れています。
ありがとうございます。
これからもセレッソ含め、すべてのクラブ、すべての選手を応援していきます。
もちろん一番はセレッソであることは譲りませんが、
そこから出ることになった選手も、みんな大好きです。応援しています。
以上、Jリーグでした。
他にも「し」なら、ジョジョの奇妙な冒険、死んでもやめんじゃねーぞ、ジェイデッカー、
真魔神英雄伝ワタルとか、いろいろあったんですが、より多くを語れそうな言葉は、
このJリーグでした。
Jリーグ。
1993年開幕だったでしょうか?
当たってますね(ググりました)。
当時10チームでスタートした日本のサッカーリーグは、
23年目を迎えた今年、J1、J2、J3までのリーグがあり、全53チームがしのぎを削っています。
J1で18チーム、J2で22チーム、J3で13チームとU-23の3チーム。
このU-23は、セレッソ、ガンバ、FC東京の主に23歳以下の選手で構成されたチームで、
選手に試合経験を与えるために作られたチームです。
キーパーを除いて3名までのオーバーエイジ枠もあって、普段スタメンで参加できない選手や、
ケガ明けのベテラン選手などが出場しています。
まあ、海外のリーグに比べるとまだ少なかったりもしますが、
それでもずいぶんと賑やかになっています。
そんなJリーグですが、サッカーに興味がなかった僕にとっては、
開幕したときも、プロ野球以外のプロスポーツができたんだ、ぐらいの認識しかなく、
今となっては非常に恥ずかしいですが、水曜日と土曜日しか試合がないなんてラクしてるよなあ、
なんて思ったりもしていました。
サッカーは、非常に激しいスポーツで、試合を週1回のペースで行うのと、週2回のペースとでは、
選手のコンディションが落ち込むことに、サッカーに詳しくなってからやっと知った次第で、
まあ無知なわけでした。
そんな感じで傍から見ていたJリーグ。
それでも三浦知良、ラモス瑠偉とか、有名選手のことは知っていました。
大学のコンビニでのバイト先の先輩の石野さんは、
中田がほとんど年も変わらないけど海外で活躍することに興奮していましたけど、
元来サッカーに興味のない自分にとっては特に返す言葉もなく、生返事をしてたぐらいです。
ワールドカップ出場を機に、頻繁にニュースでも取り上げられるようになって、
当時の日本代表の宮本恒靖が、医者かサッカーのどちらか悩んだ末にサッカーを選んだと聞いても、
一人でも患者を救う医者の道のほうを取るべきだろう、と
失礼極まりないことを思ってたりしました。
そういえば、通学途中に見えるヤンマースタジアムの屋根も、大阪ドームかと勘違いしてたりで、
サッカーに対する知識も好意も、共感すらもなかった自分です。
それが『ジャイアントキリング』に大ハマリになってから、すっかりサッカーに魅了されて、
そしてこの年の3月にちょうどJリーグの開幕戦がNHKで中継されましたので、
早速テレビで見ることにしました。
試合は、セレッソ大阪 VS ガンバ大阪。
大阪ダービーです!
と言っても、この時はそんなことまったく知る由もなく、
あまつさえ、ゲストで登場していた選手が海外に移籍していながらも現在ケガで休養中ときいて、
「大丈夫かいな、こいつは」と、とてつもない上から目線でいる始末。
その選手が、実は元セレッソの8番で今も日本代表で活躍する、香川真司でした。
むろん、テレビ画面の向こうの選手がどういった選手かなんて全く知識はなく、
この日に見た大阪ダービーについても誰一人選手のことを知りませんでした。
ただ、Jリーグのクラブについては、ゲームのお陰もあって多少は知っていましたし、
セレッソとガンバについても当然チーム名はわかっていました。
この時、
「これからサッカーを見ていくんだから、1つ好きなチーム、応援するチームを決めよう」
と思いました。
ぜいたくにも大阪には2つもチームがありますから、どちらにしようか、
最初にJリーグに加盟したガンバか、はたまたセレッソか。
それなら、吹田という遠い場所のチームより、自分の家に近いセレッソを応援して行こう。
こんな些細な理由が、僕のセレッソを応援するきっかけでした。
試合はと言うと、2-1でガンバの勝利。
まあ、内容も理解せず、攻めてるぞ、攻められてるぞ、
ゴールを決めたぞ、決められたぞ、ぐらいの感想。
でも、途中で遠藤保仁のPKを、キム・ジンヒョンが止めたとき、
サッカーに無知な僕でもPKを止めることは非常に難しいと知っていましたから、
「凄いキーパーがいるな、試合には負けたけど、やっぱりこれからもセレッソを応援して行こう」
もともと、そんなに思い入れもない状態ですし、負けた悔しさは皆無で、
ヤットとジンヒョンのことも、この時は名前すらも知らない状態でしたから、
とりあえず、逐一ネットとか新聞とかで、セレッソを追っていこう、
それが僕にとってのセレッソに対しての、Jリーグに対してのアプローチでした。
それからすぐでした。
この年は2011年。
そして3月。
東日本大震災。
大阪にいる僕には、東北の被害は映像だけの世界で、
激しい爪痕も、被害の状況も真に実感することも、理解することはできず、
ただ早く復興してほしい、被害にあった人が元の生活に戻ってほしい、
そういう思いでいるだけでした。
ですが、これまでの僕であれば、それで終わっていたと思います。
ただ、この年から見始めたJリーグが、震災によって中断となったことで認識が大きく変わりました。
日常の生活できない人がいること。
それは言わずとも理解できるのですが、サッカー選手がサッカーをできない状況にいる。
それに驚きました。
当然のことなんですが、サッカーに興味を持つまで、
そんな当たり前のことにも気付きませんでした。
そこからJリーグ再開までのことは、安易には容易には書けませんが、
晴れて再開となったときに、テレビでもその中継をしてくれました。
当時、被害の大きかったベガルタ仙台の試合。
そこで試合には敗れたものの、ベガルタの監督が涙して、
またサッカーができることへの感謝を述べていました。
大人の男の人の涙です。
きれいな涙です。みんなの幸せを願って流す涙。
その人は、リオオリンピック代表監督を務めた手倉森監督。
当時、仙台の監督でその人が大勢の人への感謝を述べられたことに、深く感動しました。
そう言いつつも、自分は震災に対して、何かしたのかと言うとまったくです。
ボランティアをしたわけでもなく、救援物資を送った訳でもなく、
ただ被害の状況を見て、こんなことが起こって嫌だなあと、
無責任と言うべきか、そんな気持ちで見ていただけでした。
ただ、そんな震災を経て、非常に迅速な対応と大きな助力を経て再開されたJリーグに、
人の力と思いとを感じました。
(ちなみにスタジアムに行くのはまだ先ですが、
行くたびにある義援金募金にはわずかですが、毎回募金するようにしています)
この経験が無かったら、もしかしたらそこでサッカー熱は、
単に知識の収集だけで終わっていたかもしれません。
ですが、この手倉森監督の姿と、それからのJリーグを見ていて、
「そこに人がいること」に共感を覚えました。
Jリーグ。
何とか再開の目途も立ち、時には東北復興支援の親善試合も開催され、
Jリーグの楽しさとありがたみも感じつつ、僕自身はまだセレッソの試合結果と、
選手のことを少し知るぐらいでしたが、それだけ興味があるならスタジアムに行こうかと、
中学時代からの友人である鳥山が誘ってくれました。
普段どこにも出かけない、日曜日にダイエットのためにジムに行って、全然痩せないけど、
あとは月に1回はTRPGに出かけるぐらいで、それ以外はもっぱら家でゲームするだけの、
日にも焼けない色白の小太りの僕でしたが(僕ですが、とも言える)、
これについては願ったりかなったり、できれば早々にとも思っていましたが、
向こうの都合が合わずで、10月の予定が11月に、11月の予定が12月となって、
ようやくスタジアムに行くことができたのが、2011年のJ1最終節、
セレッソ大阪 対 アビスパ福岡戦でした。
(これがサッカー初観戦で、それから4年後にも同じチームが1年の最後に対戦するわけで、
偶然とはいえ非常に感慨深いものを感じたことは、まだ先の話です)
長居駅近くの喫茶店で、開始2時間前に集合。
2時間前と聞いて、なんでそんなに早いんだ、何するんだといいましたが、
早く入って待つもんだと言われたら、こちらとしては全く未経験ですから、
そんなものかと納得して、長居駅に。
当日は小雨が降る中、試合会場のキンチョウスタジアムに向かうと、
セレッソの試合に見に行くらしき人がちらほら。
セレッソカラーであるピクの傘をさしている人を見て「いいなあ」と言う鳥山に対して、
グッズとしてあるのかが分からず、ただ自分もセレッソに関する何かを持たないものですから、
「そうやなあ」と言いながら歩くと、先には大勢の人が。
そして知識だけはすでにあって知っていたスタジアムグルメの屋台もたくさん。
まずはチケットを購入。
初めて見る試合で座る席もよく分かっておらず、高すぎる席もあれ何で、
できるだけ真ん中のほうの安い席と言うことで、アウェイ寄りのカテゴリー4を購入。
そして早速セレッソグッズも物色。
周りがピンク一色なのに対して、自分は何も持たない訳ですから、
とりあえず雨もしのげるピンク色と言うことで、セレッソのポンチョを購入。
(今でも重宝しています)
これでようやく自分もセレッソファンの一員になれたと、心の中での満足感。
そして、まだまだ試合開始までは時間もありますから、
喫煙所で煙草を吸いつつ、滅多にしない自分の写真を鳥山に撮ってもらうという、
何とも言えないはしゃぎよう。
スタジアムグルメについてもすでに目星はつけていまして、ホルモン丼500円を購入。
歯ごたえのある肉に舌鼓を打ちつつ、小雨に振られながらもスタジアムへ。
開始1時間前を過ぎたあたりから選手の練習開始。
この時、初めて見た互いのゴール裏からの大声援。
これがスタジアムかと大興奮する僕に対して、何度もサッカーを見たことのある鳥山は、
やさしくレクチャー。
いわゆる選手の応援、チャントについても、試合中のチャントや掛け声についてもまったく知らず、
ただただ興奮の中にいて、スタジアムの1つ1つに感動していました。
ここまで感動するのは、スタジアム観戦までの期間が長かったこと、
セレッソを応援しようと決めた2011年の第1節から来て、ようやく最終の第34節までと、
待ちに待ったスタジアム観戦と言うことがあって、
それとセレッソについての小さいけど好きだという思いがあったからこそ、いろんなことでも、
ここまで感動で来たんだと思います。
そしてついに試合開始。鳴り渡るアンセムだって当然知りませんし、
タオルマフラーを掲げることも知りませんし、そもそも持ってもいません。
もう周りのファンやサポーター一挙手一投足からして初めてのことですから、
席に座りながら心の中では右往左往。
さらに主審の笛が鳴り試合が始まると、セレッソの怒涛の攻撃で、
目まぐるしく時間は過ぎて、結果は7-1の大勝。
初めてのスタジアム観戦の試合結果が7-1。
鳥山曰く「大当たりの試合」と聞いても、どれだけすごいことかわからず、
ただただ終始興奮しっぱなし。
これだけすごいことを体験してしまうと忘れられなくなり、
そしてもっともっとスタジアムに来たくなる。
でも2011年のJリーグは今日まで。
「次は来年なんて」と残念に思いきや、天皇杯がありました。
天皇杯と言われても、この時はまったく分かっていませんでしたが、
まだセレッソの試合が見れると分かれば、直ぐにチケットを購入。
仕事はしてますが、ほとんど引きこもりの僕が、
サッカーを馬鹿にさえしてた僕が、
この時から一人でサッカーを見に行くようになりました。
今思えば、確かに大当たりの試合でした。
ここまでの大量得点は、国内外問わず珍しいです。
先日の天皇杯1回戦のセレッソの対戦チームは、社会人クラブのアルヴィレオ高松でしたので、
実力差が激しく10-0まで行きましたが、
チームの力の差がある天皇杯でも稀な得点差です。
それを始めて行ったスタジアムで見れたんですから、幸運もあったと思いますが、
何よりセレッソに惹き込まれる、吸い込まれると言ってもいいぐらいのことがあって、
続く天皇杯も毎試合行ったのですが、最後は惜しくも準決勝で敗退。
その時、「また来年もセレッソを応援しよう」と決め、
ファンクラブに入って、年間パスポートを購入しています。
12月にサッカーを観戦してから、翌年にはファンクラブに入るという、
我ながらあきれるぐらいのはまりっぷり。
そこからは何度も言うように、ほぼ毎試合ホームゲームに行ってます。
ちなみに、最初はメインスタンドのやや端っこよりのカテゴリー4の席。
ゴール裏で見るという意味、行為を理解しておらず、一人で寂しく応援してました。
この席で大声を上げて応援する人はいませんから、
それでも何とかセレッソが勝つようにと陰ながら応援していました。
それがゴール裏に行くようになったのは、合コンで知り合ったサッカー好きの娘から、
「そんなに好きならゴール裏がいいんちゃう」と言う言葉。
と、言われても、まだセレッソのサポーターとは呼べない自分が、
ゴール裏に足を運ぶなんて、そんな大それたことは。
そう思っていましたが、体験してみるのも悪くはないかと2012年の天皇杯で、
年間パスポートの使えない試合でしたので、そこでゴール裏に行ったとき、
ここまで思いっきり応援していいのか!と歓喜しました。
こうなると早いもんです。その翌年から、年パスはゴール裏。
それからは毎試合、ありったけの声で応援しています。
そしてセレッソはセレ女ブームがあったり、人気に火がついてチケット完売が何度かあったり、
フォルランが来たり、J2降格があったりと、たくさんのことがありましたし、
これからももっとたくさんのことがあって、それを僕は経験していくと思います。
シャイな性格なんで、スタジアムで一緒に見る人、応援する人はいませんし、
(少し知り合いはいますが、ゴール裏にはいません)
ゴールした時に、周りはハイタッチしてる中、自分はポツーンとしていますが、
それでもJリーグのスタジアムが楽しくて仕方ない。
J2に降格したことは残念ですし、1年でJ1に昇格できなかったことも悔しいですが、
J2のチームをたくさん見れたことは良いことだと感じています。
少ないながらも必死で応援するチームもあれば、逆に浦和のように迫力あるチームもあります。
時には相手チームの選手に拍手を送ったり、相手チームのチャントを歌って称えたり、
(僕はようやらないけど、野次ったりブーイングしたり)
これはスタジアムに行かないと感じられないことです。
負けたときは、自分の応援が悪かった、手を抜いたんじゃないかと悔やんだり、
買ったときは大勢で喜んだり、こんなに一喜一憂できることは、
大げさな話ですが、人生においてもそうそうありません。
いやらしい言い方になるかもしれませんが、
数万円と言う単位ではなく、数千円あれば月に2回はホームスタジアムでこの喜びを味わえる。
むろん野球であればもっと回数は多いでしょうが、
この絶妙な回数も非常に味わい深いものと考えています。
きっかけはほんの些細なことでした。
マンガを読んで、ちょっと興味が湧いて、スタジアムに行ったらすごい試合が見れて、
そこから少しずつですが確実に愛着が増えて、今や人生の一部になっている。
こんなJリーグに出合えて、本当に幸せな毎日を送れています。
ありがとうございます。
これからもセレッソ含め、すべてのクラブ、すべての選手を応援していきます。
もちろん一番はセレッソであることは譲りませんが、
そこから出ることになった選手も、みんな大好きです。応援しています。
以上、Jリーグでした。
PR
この記事にコメントする
Re:無題
>当時、天王寺でラモスに遭遇して興奮したもんです。
それはすごい!と今なら思えます。
昔は全然サッカーに興味なかったけど、
いまは練習を見に行った時も、緊張しすぎて何も喋れないほどに
リスペクト。
それはすごい!と今なら思えます。
昔は全然サッカーに興味なかったけど、
いまは練習を見に行った時も、緊張しすぎて何も喋れないほどに
リスペクト。