忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「つ」はつっぱり大相撲。

おそらく、初の相撲ゲームではないかと思います、ファミコンソフトです。

ゲーム操作自体はシンプルで、組み合う前には張り手で攻撃し、
組み合ってからは、押し出しと引き込み。

対戦モードもあったと思いますが、メインは力士を1人作って、
幕下から横綱を目指すというゲームです。

作る力士は、名前を自由に決めることができて、その時に僕がつけた名前は、
こつこつ一勝ずつ価値を積み重ねられるようにと、「一勝ノ山」。

あまり欲張らず、見栄を張らず、着実に一歩ずつ、そういう思いで付けました。


まあ、名前なんでどうでも良いのかもしれないですけど、
当時のファミコンでは珍しく漢字を使えたというのは、さすが日本の国技をゲーム化しただけ、
あります。

また、廻しが取れてしまう、モロ出しなんてのも裏技で出せました。


このゲームのことが記憶に残っているのは、力士の名前。
その百勝とか千勝とか大きな数字じゃなくて、一勝という小さい数字を自分が付けたこと。

子供ながらに、こつこつ頑張ろう!と考えてつけたんじゃなくて、
強い名前を付けても、ゲームが下手なんで名前負けしたらヤダなあという、
子供らしからぬ理由だったこと。


何ともずるいというか弱気です。

子供同士で戦隊ごっこをするときも、
誰もが選びたがるレッドじゃなくて、その次に選ばれるブルーを先に選んで、
争わないようにしてました。

要領がいいと言うよりも、ケンカも弱くて運動もできない自分の処世術です。
知恵はあったんだと思います。



あと、このゲームは、友達から借りたゲームのなかで、
初めてクリアできたから、その分長く遊べたこともあって、
よく覚えてるんだと思います。

昔のゲームですから、バーチャファイターの鷹嵐のように多彩な技はまったく出ませんが、
それでもファミコンながらの良さがあって、毎場所15試合を勝ち越せるかどうかにらみながら、
徐々に徐々に格付けが上がって強くなっていく楽しさがあって面白かったです。

幕下からもうすぐ幕内に上がるところで上位力士に奮闘しながら負けたけど、
後になって上位力士を倒せたときの嬉しさ。


他のスポーツで1体1で勝ち上がっていくゲームって、そうないですよね。

ボクシングゲームの「パンチアウト」はチャンピオンを倒すため、
1試合1試合勝ち進んでいくゲームですけど、
相撲は一つの場所で15試合、それを何度も繰り返すんで、
負けても盛り返すことができたり、全勝を目指したりできて、
相撲という競技のシステムと言いますか、
それがいい感じでゲームにマッチしていたんで楽しめたんだと思います。



まあ、今同じゲームを楽しめるかというと、今はいろいろとゲームも進化したんで、
ただ相撲を取ってばかりだと飽きられてしまうんで難しいでしょうけどね。


という感じで、今日は短め。
つっぱり大相撲でした。




拍手[0回]

PR
『3月のライオン 12』 (ヤングアニマルコミックス)



トラブルというには軽すぎる家族のつらさを乗り越えた先、棋士たちの戦い。

拍手[0回]

『急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは』 (ベスト新書)



私が尊敬する人、と言う言い方は大げさですが、
この人の自伝を読んでえらく苦労された人と知ってからは、
尊敬のまなざしで見てます。

そんなオシムさんの新書。

と言っても、いえおんな疑問や質問に関してのインタビューなので、
本のつくりとしては少しもったいない気がします。

どのような質問について、なぜこのような回答がされているのか、
その点をもっとわかりやすく伝えてもらえれば、
大勢の人に共感が得られると思うので、素晴らしい素材は言い過ぎかもしれませんが、
希少なインタビューですので、読みやすければ良かったなあと思いました。


あまり内容について、触れられてませんが、
質問自体も真剣なものばかりですが、真摯に答えるオシムさんには素晴らしいものがあります。

拍手[0回]

「ち」は血です。

なんだか物騒な言葉に聞こえますが、「ち」で浮かぶ言葉は、血です。


他に、チュパカブラが浮かんだんですが、
チュパカブラについては何の予備知識もなくて、
好きな食べ物(?)が、血ということぐらいしか知りません。

結局、血に辿り着く訳で。


血と言えば、献血。


電車通学だった高校生時代、よく寄り道していた大阪日本橋に献血センターがあることを知って、
何の気なしに入ったのがきっかけです。

いいことするぞ!とか、美人の看護婦さんがいるからとか、
そういった何か目的や下心は全くなく、
やったほうが良いことなんだなあ、ぐらいで献血をしたのが始まりです。

高校生は、200ml献血しかできないのですが、
次に献血ができる日が来ると、直ぐに行くようにしていました。


まあ、暇を持て余していたってこともありますが。

ちなみに、大阪日本橋の献血センターには、当時「コラムス97」が置いてまして、
割と素早い操作を要求される落ちものパズルゲームなんですけど、
献血直後に結構熱くなってプレイしてました。いいんだか、悪いんだか。


高校、大学を経て、社会人になってから岩手県の盛岡市に転勤したときも、
盛岡の献血センターに行ってました。

毎回、行くたびに歯磨き粉をもらうんですけど、
そんなにすぐに消費するわけなく、たまる一方でした。


今は、天王寺の献血センターに行ってます。

何回か行くと、記念品をもらうんですが、人にあげては喜んでもらっています。
日用品とか頂けるんですよね。

ただ、献血に行くと運動できないので、
ジムとの兼ね合いで、いつ行こうかと思案している次第です。



ちなみに、血液には赤血球と白血球がありますが、白血球にも型があるそうで、
私の白血球の型と一致する人がいるらしく、過去3回ほど献血センターから
召喚の電話がかかって来たことがあります。


最初に電話が来たときは、こんなこともあるんだなあと驚いてましたが、
たまたまではなく、必要としている血液があれば、頻繁に電話がくるんで、
最近は特に電話が来る前に、献血に行けるようになったらすぐ行くようにしてます。



血。

献血に行くと、自分の血液型がRh+か、Rh-かも知ることができます。

ちなみに私はA型のRh+です。お困りの際はお声がけください。


豆知識ですが、日本人の約4割がA型、3割がB型、2割がO型で、1割がAB型だそうです。
さらに、Rh+はそれぞれの9割、Rh-は1割ほど。

ですので、AB型でRh-の人は、100人に1人の割合になります。


賢くなりましたね。



嘘か真か、高校時代の生物の先生は、両親がA型とB型で、
その4人の子供は、A、B、O、ABだそうです。

A型にはAAとAOが、B型にはBOとBBがあって、
AOとBOの組み合わせでは、A、B、O、ABが生まれるという話です。


ですので、A型同士の夫婦にO型が生まれる可能性もありますが、
夫婦のどちらかがAB型だと、たとえO型の人と結婚しても、O型は生まれてこないわけです。


ただ、隔世遺伝だったか、何かの理由で極々稀に違う血液型の子もできるとか、できないとか。



血。


これまでの人生で出欠は鼻血と、痔ぐらいですね。
穏やかな人生ですし、それに越したことはない。


島田紳助は、伊丹十三が「スゥイートホーム」を撮ったときに、
ホラーでも血が出ると見れないと言ってたことを覚えています。

ラストしか見てないけど、トヨエツと武田真治の「ナイトヘッド」のラストは、
あたり一面が血の海でした。


1巻か2巻しあ読んでないけど、西谷史の『神々の血脈』の登場人物の1人が、
自分の血液を相手に浴びせることで石化させる能力でした(だったはず)。


血が噴き出すシーンというのは、リアルなものとそうでないものがあって、
下手な場合は、無駄に血を見るので興ざめします。

サムスピは、血が出まくってたなあ。


なんだかまとまりがなくなりましたが、
以上、血でした。



是非、皆さんも献血に。






拍手[0回]

「た」は煙草です。


吸いだしたのは思い返すに26歳の時。

仕事場の先輩が吸っているのを見て、ちょうど長期出張中ということもあって、
俺も一緒にさぼりたいなあ、という理由で吸い始めました。

パーラメントのキングサイズは長く吸えるので最初に選んだ銘柄。
そのあと、いろんな銘柄を調べてたらフィリップモリスがチョコの味がするらしく、それに変更。
ケントが細小さいのを出したんで、持ち運びに優れて吸い殻も小さいと嬉々として吸っていたら、
会社の後輩から「ふるたさん、その煙草、きもいですよ」と何度も言われ続けて、
ケントの普通サイズのメンソールになって今に至ります。

後輩からもいじられる。



親は吸いませんが、母方の祖父母は喫煙者でしたから、
煙草の煙自体、それほど気にならない性分だったと思います。

それより煙草で一番古くてよく思い出すのは、小学生時代の担任の先生が、
「先生、タバコ吸うんでベランダを空けて(独占させて)」と言って、
教室のベランダで煙草を吸っている姿でした。

それまで、担任の先生はずっと女性でしたから、
初めての男の先生だったので、とても慕ってたものですから、
いろんなことを思い出として刻んで過ごしてたんだと思います。

僕自身、父親が自営業で非常に仕事人間だったもので、休みなく働いている人でしたから、
親子でキャッチボールとか、キャンプとかまったくなくて、
それで大人の男の人に、父親から得られない父性を感じて、懐いてました。



それからの煙草については、高校三年生の時に、クラブのOBの人が
大阪城公園駅で煙草を吸っていたことをすぐに思い出します。

その時で大学2年生でしたから未成年なんですけど、
「煙草、吸われるんですね!?」と驚いたことを記憶しています。
「前から吸ってるで。百害あって一利なしやけどな」と言われてたことも、よく覚えています。


不良とか、悪い人とか、そういう善悪についてはまったく気にならず、
それより運動部にいて煙草を吸っていてキャプテンだったことにびっくりしたのと、
煙草のことを「百害あって一利なし」と言う言葉を、文章ではなく言葉で聞いたことが、
記憶に残りました。

たしかに、お酒は百薬の長と言われてますが、タバコは健康を害するものでしかないんで、
その通りなんですけど、それをさらっと言いながら吸っている先輩に、
おかしな言い方ですけど感心していました。



煙草。


まあ、大小いろんな思い出がありますけど、
喫煙所にいることで、仕事場では話しづらい雑談とか、
日常会話とかができることにメリットがありますね。

煙草を吸う数分だけで話も切り上げることができますし、
時には自分よりもえら~い人とも忌憚なくお話しできたり、
タバコミュニケーションなんて言い方もありますけど、
同じ会社でも違う作業をしている人としゃべれるのはメリットと感じてます。

メリットのためだけに吸っているんじゃなくて、好きでタバコを吸ってますが。



とは言え、今日日の喫煙者は吸える場所が少なくなって肩身の狭い思いをしてまして、
タバコ仲間も少なくなってるのが現状ですが、
そんな中で吸う人がいると嬉しくも思ったりします。

TRPGの場所で吸う人はだいぶ少ないんですけど、
元グループSNEの力造さんとお会いして、セイクリッド・ドラグーンを遊ばせていただいたときは、
喫煙場所が無くて、直ぐ近くのゲーセンに一緒に行って話したのを覚えてます。

それと、前回のソードワールド感謝祭に来ていただいた大井さんも喫煙者でしたので、
お話しできて良かったです。



ちなみに私が吸うたばこは、これまでずっと1mgの煙草で、1日に数本数は5本~10本程度なので、
吸い始めたときから「止めれるやん」「止めとけ」と言われますが、
どうにもやめられないですね。

酒も博打も女も止めれましたが、煙草はどれも止められない。
(酒も博打も女も、全然やってませんけど)



煙草。


少年漫画ながら、ジョジョの第三部は喫煙者が多かったような。承太郎しかり、ポルナレフしかり。

海の上で「煙草がしけちまった」「乾かす時間はいくらでもある」という会話。
ポーカー勝負の際に、煙草を吸う承太郎に焦るダービー(兄)。
ポルナレフが投げた煙草が原因で、知らないところでボヤ騒ぎ。
ディオが自分の回復度合いを見せるために、両手の指に煙草を押し付ける。

そう言えば、第四部以降で承太郎が煙草を吸うシーンは記憶にないなあ。



NARUTOで、シカマルがアスマの敵を討つまで、タバコをくゆらせてたのは印象的。



がんばれゴエモンは、キセルで攻撃するけど、これは完全に武器としてのイメージしかない。



メタルギアソリッドの序盤、胃に隠してた煙草を吸うスネークは非常に印象的。



デビルサマナー・ソウルハッカーズの序盤、
煙草を車の窓から捨てるCGは当時きれいだったけど、マナーは悪いですね。




カウボーイ・ビバップの第1話、スパイクが空腹の中、占い師のパイプを吸いながら、
他に腹を満たせるものはないかと聞く姿も印象的。あと、ビバップの3人はよくタバコ吸ってた。

ビバップ号は喫煙可な宇宙船。




読んではないけど、あの銃でドンパチやる漫画はみんなタバコを吸ってる。
(まったくタイトルが出てこない、アニメにもなってたけど)



ウルトラマンとか仮面ライダーとかスーパー戦隊には煙草は出てこないなあ。
敵の怪人ならいそうだけど。



まあ、ゲームや漫画とかに限れば、煙草は大人だったり、ちょい悪なアイコンですね。

俺も悪いよ~、歩き煙草とかしちゃうもん。あと、歩き読書も。
歩きながら本読んで、地下街とかうろちょろしてるもんね。

でも、駅から家に帰るときは無理。いくら街灯があっても本は読めない。




喫煙場所は少なくなってますけど、そうなってから吸い始めたんで、
まあこんなもんと思ってます。

ただ、もし新しく喫煙場所を作ってくれるなら、ジムの中に作ってほしい。
運動の後の煙草のうまいことったら、この上なし。

でも、もしジムの中に喫煙所ができたら30分おきに吸いに行っちゃいそうで駄目ですね。




以上、煙草でした。

拍手[0回]

『戦国武将の解剖図鑑』



一度書店に並んでいるのを見て、それからしばらく見なくなってしまって、
欲しくなって仕方なかった一冊。

戦国武将の相当数はカバーしていると思いますが。
改めてみると「信長の野望」に出てくる武将数に比べたら少ないです。

まあ、そんなにたくさんを2ページずつで紹介したら、
広辞苑レベルになるんで、このぐらいで十分ですし、
この本自体、内容もたくさんありますから問題はないですけど。


特に貴重と思えるのは、武将の鎧兜に刀などの「銘」がしっかりと書かれ、
どのような人物だったかと、どのような城に住んでいたかを紹介している点。

イラストをうまく活用しつつ、多数の武将を紹介するのは珍しいアプローチで、
解剖図鑑の名前通りです。

拍手[0回]

ジムばかり言っていたけど、
最初に会社の旅行があって、カラオケでオールしたり、
予想外の仕事があったりと忙しいシルバーウィークでした。

ただ、忙しいことはいいことなんですよね。

これは自営業を営む親の言葉。
暇だと仕事がないことになるので、収入がなくなりよろしくない。

忙しいと、変なことに悩んだりしなくて済むし、
大げさに言えば人生を謳歌していることになる。


また、明日からは平常運転になる予定。

平常運転になるからと言って、暇になるわけではなく、
いつも通り小忙しくなるわけですが。


あと、ジムに行っている割には痩せないと、
各方面から集中砲火されてきますが、
悪いのはジムじゃなくて私です。


拍手[0回]

『超クソゲーVR』



表紙は、PS2のSIMPLEシリーズ「The 落ち武者」の超クソゲーの最新刊。

久々のシリーズなので、これからもバシバシ出てきてほしいものです。

拍手[0回]

「そ」はソード・ワールド。

また、長いお話。


最初にソード・ワールドを見たのは、
富士見書房のドラゴンマガジンに掲載されていたリプレイ。

もう懐かしい、山本弘が描く1作目のシリーズ。
今ではスチャラカなんて呼ばれ方もしてたソードワールドのリプレイの、
2話目でした。

そもそもドラゴンマガジンを購入するのも、かなり珍しいと思います。
それまでラノベも読んでないし、何一つ知らない話と内容の中、
ただ<ドラゴン>という当時の子供心を揺さぶる単語に惹かれ買った次第です。


もちろん初めて呼んだリプレイですから、
ト書きで終始書かれた内容にどういったものかもまるで分らず、
ただキャラクターデータと、草薙琢仁さんの絵だけですっかり魅了され、
その時はまったく内容もわからないままに好きになっていたことを覚えています。

それからどうしたわけか、ルールブックにめぐり合い、
少ないモンスターに困ったり、5レベルより先のデータがないことに焦ったりとしましたが、
上級ルールブック2冊も無事に出て、後は週2回のTRPGに興じた中学時代でした。


まあ、興じたといっても行き当たりばったりのシナリオで、
今となってはその潔さと言うか迷いのなさと言うか、
とてもじゃないけどそんな遊び方はできないわけで、
それでも何か楽しいものがあったんでしょうね、それなりに続けて遊んでいました。

遊んでいたといっても、友達はたくさんいるほうじゃないから、
無理やり集めた3人のプレイヤーに、1人のGM。

数は少ないから、プレイヤー1人につき2人のPCという遊び方でしたが、
それでも満足してましたね。


パーティー全員が一角獣(ユニコーン)騎士団のメンバーで、
白虎剣(グレートソード+1)、青龍槍(ロングスピア+1)、
玄武鎧(プレートメイル+1)、朱雀刀(バスタードソード+1)、
と中二病全開の装備を与えて冒険してたり、
他にはソーサラーとシャーマンとスカウトを持つPC、
ファイターとプリーストとソーサラーを持つPCのW主人公とか、
まあ、我ながらいいセンスしてる気はするんですけどね。


ほんと、よく遊んでましたね。

初期作成の経験点からさらに経験点を少なくして、
PC1人1人に、序章を用意してPC以外のNPCと冒険を1度こなしてから、
全PCが集結するとか、それが10レベルまで続く壮大なものもありましたし、
今となっては全くしないですが、その頃は頻繁にオリジナルモンスターも出してました。


ドラゴンブックもその当時は良く買ってましたね。
実際ソード・ワールドも大好評でしたし、日本のTRPGをけん引してましたから、
特集記事とか、小冊子の付録とかは当時の宝物でした。


ただ、中学を卒業してからは遊ばなくなって、それでもリプレイは毎回購入してましたけど、
やりたい気持ちが徐々に高まって、そんなときにネットで調べたら意外といろんな場所で
遊ばれていることに驚きまして、さっそく馳せ参じることになったのは、社会人になって数年目。


場所によっては、運行が下手なところもあったり、
シナリオが悪いところもあったりでしたけど、
まあ、それでもソード・ワールドがやれたんだからいいか。

そう思いつつすごしてましたら、
そのタイミングで「ソード・ワールド2.0」が登場するというニュース。

これまでと全く違う世界観、新しいシステムへの変化、期待大。
発売が待ち遠しいと思いながら、またネットで調べてソード・ワールドを遊びに行った先で、
行われたのは「ソード・ワールド2.0」

今は神我狩のリプレイを書かれてる佐々宮智志さんがGMで開催されたセッションが、
ゲラ状態の2.0のルールでした。

力造さんと懇意らしく、SNEのこともよくご存じで、
その時に発売前の2.0のルールもゲラの状態でしたけど、持ってこられてて、
まあ、発売前のゲームはできるし、こりゃいいなってな感じで。

そこが今も参加してるサークルRE;Dでして、
ここは他のサークルと違って事前予約できることが大きいんですね。

他のサークルとかだと、参加したいシステムがあっても、
当日に抽選でたくさんかを決めますから、時には遊びたくないシステムにも参加させられてしまう。


これが、何気にきつい。
TPRGなんでものは、6時間はかかる遊びですから、そんな中で、
好きでもないシステムを強制されるのは非常に厳しい。


それもあってRE;Dの参加しやすさが交換を持てましたので、
ちょくちょくと足を運んで、いまはもっぱらGMしてます。

とはいえ、セレッソの試合と重なったりするんで、
月1回行けるかどうかですけどね。



それはさておき、ソード・ワールドです。

このシステムの好きなところは、
能力値がコンピュータRPGみたいにバカバカ上がらないところ。

ドラクエとかFFならHPが、2桁から3桁、4桁になりますが、
ソード・ワールドではHPはまず上がらない。

最初のHPが10点なら、基本は10点のまま。
能力値も、筋力が20なら20のまま。

でも、技能レベルが上昇すれば、ちゃんと強くなる。
これまで苦戦した敵にも対等に渡り合える。

そのバランスの良さが、まず好きでした。


それからレーティング表。

他のシステムだと、ダメージ計算に用いるダイスは、そのまま用いられます。
例えばロングソードのダメージがD6+5点なら、値は6~11。
グレートソードのダメージD10+5なら、値は6~15。

違う武器でも最低ダメージは6と同じ。
また乱数としてみてもかなり大味だし、より大きなダメージを出そうとすると、
4D6+5でダイスがたくさん必要になるか、
もしくはD6+30とかで固定値が大きくなりすぎてダイスを振る意味が薄くなります。


でもソード・ワールドはレーティング表を用いることで、
常にダイスはD6が2つながら、幅広くダメージを作れるわけで、
それも好きになる理由の1つでした。


むろん、今では2.0も出ていますから、ソード・ワールドのデメリットもはっきりとしてますが、
それでもこのシステムは当時から見ても素晴らしいものでした。


あと能力値の決定も非常に納得の作り。

多くのシステムが、筋力、知力、敏捷、生命力などを個別に決めますが、
ソード・ワールドは関連する能力値は一方が低くて一方が高くなることもないんですよね。

例えばすべての能力値は3D6、6面ダイス3個で決めるシステムですと、
ですから筋力が18でも、生命力は3のいびつなキャラクターになりますが、
ソード・ワールドでは、筋力は<E>と<F>の合計、生命力は<F>と<G>の合計、
このE~Fは全て2D6、6面ダイス2個で決めますので、
仮にEの値が12でもFの値が2になれば、筋力は14しかなく、
Gの値が7なら生命力は9にしかなりません。

もしEの値が12で、Fの値が10なら、筋力は22と高く、
Gの値が7なら生命力も19と高いので、ムキムキなのに病弱という、
おかしなキャラにはならないようにできています。


そこも理にかなったシステムでして、当時としても画期的でした。


もちろん他のシステムではいびつなキャラクターにならないよう工夫もありますが、
ここまでよくできたものは少なかったと思います。


ルールブックもすべて文庫版だったのが良かったですね。

いまは商業ベースなど理由もたくさんあるでしょうから、
なかなかすべてのルールを文庫で展開するのは難しいでしょうけど、
当時は他に遊びやすいシステムもなかったですし、
出来が非常に良かったんで、文庫だけの展開でも十分いけたんでしょうね。



何にせよ、ソード・ワールドのお陰でTRPGの魅力を知ることができて、
今もTRPGで遊んでますんで、いい出会いでした。


スーパーファミコンで発売されたのも面白かったですね。
最初にクリアしたときに表示されたシナリオ回収率が30%ほどだったときは、
まだ他にもあるのかとうれしく思ったぐらいです。

それに比べると、2.0のゲームは不遇ですね。
DSにせよ、アプリにせよ、ネタにしかなってない。


まあ、それはさておき、ソード・ワールド。

これが無かったら、出会ってなかったら、今TRPGで遊ぶことはなかったでしょうね。
そして徹夜でシナリオ作るという楽しい機会もなかったかと思うと、
本当にいい出会いだったと思います。



スチャラカのリプレイについては、よくある世界平和とか、魔王退治とか、
そういった大鉈を振るうような大きな話じゃないところが好きです。

市井の平和を守るというか、割とのんびりした感じもあって、
そこはプレイヤーの活躍もあってですが、そういったミクロな冒険が楽しいと思っています。

むろん最高レベルに到達すれば、出てくる敵も世界レベルの強敵になっちゃいますけど、
限られた強さしかないPCが一生懸命になって町の平和のために奔走する、
そういったシナリオが作れるのもTRPGの魅力と思えます。



以上、ソード・ワールドでした。


追伸:
 PCの名前を決めるのは楽しい行為と思います。

 リーシャン・コバルト
 アーク
 ティリアン
 イーグ・ランフォース
 モナング・シャン
 ジェーマン・ティム・コルフ

 これらはソード・ワールドで僕の作ったPC。


 ゾッド・ハリスマン
 ファール・ムリア・シュラン
 ロン=カールス
 ライ・クレミアス
 ジーン・カルツェランド
 ワイズ・ブライト
 ニッキー・バジーナ
 オード
 フォー・ミュラー

 これはソード・ワールドで友人の作ったPC。
 他に漫画や映画の登場人物なんかもありました。


 翻って今、僕がPCを作るときはセレッソの外国人選手の名前ばかりつけますが
 セッションとかコンベションで名前を決めるのに四苦八苦される方が多いのは、
 もしかしたらそれは、PCを大事にしようとする思いの現れかもしれませんね。

 僕はセレッソ載せsにゅが好きなので、それだけで十分思い入れが大きいですけど、
 そうじゃない方は、いろいろなこと思って名前を決めてるんだと思います。


 逆にGMのときに、適当な名前付けるプレイヤーがいたら、
 6ゾロで殺してやろうと思っちゃいますけど。


ともかく、ソード・ワールドでした。

拍手[0回]

「せ」はセレッソ大阪。

今日からまた、ブログも平常運転の予定。


で、セレッソ大阪。

以前も書いた話ですが、出会いは他愛ないもので、
「ジャイキリ」読んで、サッカーにはまって、最初に見たJリーグの試合がセレッソ対ガンバで、
どこかチームを応援するなら、家に近いほうのセレッソを応援しよう、が今のセレッソとの
最初の出会いでした。



2011年の最終節が最初のスタジアム観戦で、
その年に移籍した乾貴士や、その前に移籍した香川真司のことなど、まったく知らず、
この時は3シャドーの清武とキムボギョンがお気に入りでした。

この時、7-1で勝ってなかったら、もしかしたらセレッソにはまる速度は遅かったかも、
と思ったりもします。


ただ、この時点でサッカーについてはずっぽりと、はまっていましたから、
サッカー関連の本は読み漁っていましたけど、
その中の1つ、エルゴラのサッカー年鑑でこの後移籍する清武や、ボギョンではなく、
丸橋祐介を大きく取り上げてたことに驚きでした。

この当時は、たくさんいる選手の1人ぐらいとしか認識してなくて、
(まあ、セレッソの試合をちゃんと見始めて1か月程度ですから)
その中で左サイドバックのこの選手がなぜ取り上げられるのか、
実際は、パス交換や攻撃の起点となる部分が多いからなんですけど、
まだ有名選手しか知らない自分にとっては、そうなのかなあ、
でもそうなんだろうなあ、というよくわからない感想で見ていました。

今となっては、セレッソで絶対の左サイドバックとして君臨する大好きな選手ですけど。
まあ、ほとんどの選手を知りませんでしたから、当時のことを思うと、
無理もないですし、今となてっては、ほんとセレッソ愛が大きくなっています。



そのあとすぐの2012年からファンクラブに入って、年間パスポートも買って、
スタジアムの片隅(カテゴリー4)で小さな声で控えめな応援をしながらも、
足しげくホームゲームに駆けつけてました。

今も変わらず、よく食べるスタジアムグルメはホルモン丼。

好きな選手を一人に決めきれず、ユニフォームの購入は断念していましたが、
この2012年に清武がドイツに移籍、ラスキヨゲームの浦和戦は、
大阪では珍しく地上波でテレビ中継もされました。

また、この年は、清武、蛍、扇原に期限付き移籍中の健勇、
さらに韓国代表としてキムボギョンがロンドン五輪に出場となり、
スタメン4名+控え1名が不在となる厳しい状況でして、
ソアレス監督が途中解任、2011年まで指揮を執っていたレヴィーが返ってくるという
サプライズもあったりでしたが、充実した一年目となりました。

清武移籍後に、ボギョンの移籍も決まり、急遽行われたお別れ会は、
平日でしたが夏休みを急いで取って、南津守まで行きましたね。

ここでユニフォームではないですが、
ボギョンのコンフィットTシャツを購入したのが、初めての選手のグッズになります。

ボギョンのお別れ会では、一人ずつ握手してもらい、
加えて銅メダルも触らしてもらいましたが、
最後の胴上げの輪の中には入り込めず、その外周で動いてました。

この時の地味に悔しい思いは、別の機会でリベンジしてます。


ちなみに、この年に徳島から帰ってきた柿谷曜一朗のことは全然知らなくて、
後半途中交代で出場したときに、思いっきり間違えて「播戸~~~!」と叫んで、
恥ずかしい思いもしましたが、今となってはいい思い出です。

あと、この年の外国人選手は、ケンペスとブランキーニョ(2013年、ブランコに登録名変更)。

ケンペスは、シュート決定率が非常に悪く、一部でケンペス師匠とまで言われてましたが、
どうもセレッソとの相性が悪かったようで、翌年ジェフに移籍したときは、
J2ながらも得点王になってました。

ブランキーニョは、10番を背負ってましたが、鳴かず飛ばずでそうそうに移籍。

逆に、レヴィーと一緒のタイミングで入団したシンプリシオは大当たり。
清水からの途中加入の枝村とともに大活躍で、
レヴィーがこの年初めて指揮したアウェイ神戸戦は、
丸ちゃんの退場で10人となったにもかかわらず、2-0を逆転するという
非常にスぺクタルな試合だったことを今でも覚えています。

試合終了後、ロッカーから出てきた裸足の丸ちゃんの安堵の表情も忘れられませんでした。


何にせよ、外国人選手がフィットするかどうかは難しいところというのは、
知識としては知っていましたけど、それを実感することができたわけです。



2013年は、セレッソがイケイケどんどんの年で、
曜一朗、蛍、扇原がA代表に招集されて、かつアジア大会で、
曜一朗が得点王、蛍がMVPとまさに注目の的となりまして、
公式戦のチケットは完売するわ、セレ女ブームは来るわで非常ににぎわった年でした。

リーグ戦も、優勝争いに加わりながらも4位と言う成績で、
俗に言われるジェットコースタークラブの名に恥じない活躍でした。
(いい年と悪い年の、差が激しいクラブという意味です)


外国人選手は、前年に引き続き番長のシンプリシオに、期限付き移籍から戻ってきたブランコ、
そしてFWのエジノ。

エジノもなかなかゴールを量産できず、苦労してたのを覚えています。
それとブランコもなかなか出場機会を得られず、退団の運びに。




この年か、この前年ぐらいからか、サポーターの活躍についても、知るようになりました。

スタジアムに早くに行って、弾幕を準備して、試合終了後は遅くまで残って、後片付け。
アウェイの試合にも帯同し、時に選手が退団するときは、お別れを言いに行き、
外国人選手や監督であれば、空港まで行って別れを惜しむ。

試合中は一時も休まず応援し続け、新しい選手が加われば、
その選手のチャントを考え、それを皆に広め、雨が降ろうが風が降ろうが一生懸命に応援する。


自分がサッカーを見てたのは、最初は新聞の試合結果、
その後はネットの記事、公式サイト、雑誌などの記事でしたが、
選手以外の、クラブスタッフでもない人間が、自分の応援するクラブのために、
必死になっていることに深く驚きました。


そして、自分もその中に加わりたいけど、いきなりは無理だから、
せめて何か手伝うことはしよう、そう思いゴール裏に行くようになり、
よりセレッソに深くかかわりたいとも思うようになって、
開幕前の体制発表会や、事業部意見交換会などにも行くようになりました。

体制発表会は、新加入選手のお披露目とあいさつや、スローガンの発表などに加え少しの質疑応答。

事業部意見交換会は、セレッソの事業部が行ってきた活動。
主には営業活動や、ファンクラブ、入場者数についてと、
スタジアム内外での活動などの報告とクラブに対する強化以外での要望を集めることなど。


まあ、試合観戦以外の場所にも行くようになった訳で、ほんとセレッソが一番ですね。
良し悪しありますが、ただ何か好きなことに一生懸命になれることは、素晴らしいと思います。

自分で言うのもなんですが。



2014年は、フォルランが来たけど、J2降格と言うネタとしか言えないような1年。

ブラジルワールドカップイヤー。
蛍は今や代表のスタメンとなりましたけど、曜一朗はあまり出場できずもあって、
スイスのバーゼルへ移籍もあった年。

曜一朗の最後の試合、泣きながら別れの言葉を言う曜一朗に対して、
ゴール裏から「泣くな!曜一朗!」と号泣しながら叫んでました。

二度の監督交代もあって、ひどい1年を経験しましたけど、
降格が決まったときは、覚悟が付いていたんでショックは大きくなかったです。

それにJ2に行こうが、さらに降格しようが、
自分がセレッソを応援し続けることには変わりないから、
来年はよりもっと大きな声で応援しよう、そう思った年でした。

まあ、悔しいのは悔しいですけど、
レヴィーが培ったチームの経験値がゼロになってしまったわけですから、
そして新たなチームへと成長していく中で、直ぐにそれを変えてしまったんで、
いくら蛍やボギョンの現役代表選手がいて、フォルランやカカウなどのビッグプレイヤーがいても、
チームの組織力は無い状態でしたから、そりゃうまくいかんわな、とよりサッカーたるものを
理解できた年でもありました。



そして2015年、J2での再出発はご存知の方も多いでしょうが、あいにく昇格ならず。

上位にはいたんですけど、自動昇格圏内に入れず、
最終的にはプレーオフの決勝で福岡に同点にされ、リーグ戦順位で下のセレッソは昇格ならず、
という非常に悔しい結果となりました。

さすがにこの時は悔しかった。
1点で天国と地獄に代わる、プレーオフの恐ろしさを痛感しました。

あと、初めてスタジアムで観戦した2011年の試合が福岡戦でしたので、
その福岡とJ1をかけて争うことに、何か感慨深いものも感じました。

あの時は7-1で勝ったのに、4年後に1-1で試合は引き分けても、勝負に負けるという悔しさ。


それでも、この最後の試合、スタジアムで入場者に手渡されたピンクの旗を、
配ったり回収したりする作業を手伝いながら、
多くのサポーターさんは泣き言も言わず、せっせと準備や後片付けをしてました。

そして、遅くなった帰り時間、「また来年頑張りましょう」と言って終わった12月最後の試合。

どうも内気な性格なもので、毎試合ホームゲームには行ってますけど、誰ともしゃべらず、
ただひたすらに大声で応援してますから、こうやって少しでも他のサポーターさんと何か、
一緒に作業ができるのはうれしく感じます。


他にもこれまで、ビッグフラッグの出し入れや、コレオグラフィーの準備と後片付け。
エンブレムシートの修復とか、参加できるものは極力参加してます。

それもこれも、セレッソと言うクラブが好きだからなんですよね。
無償の愛、報酬なんてもちろん出ませんし、不要です。

ただ、チームを後押しで来たらそれでいい。
自分たちの応援が選手の力になってくれれば満足。


そう、ひょんなことからサッカーに興味を持って、その面白さに気付き、
チームの浮き沈みを見てきた僕は、知らず知らずのうちに、サポーターになっていました。



少し前に、中学からの腐れ縁であるトリヤマに言われて、確かにそうだなと思いましたが、
「中学の自分(僕)が、今の自分を見たら驚くやろな。サッカーを応援してるなんて」

本当にそうです。

小学校、中学校とまったく運動もせず、ただゲームばかりしてきたような自分が、
今はサッカーを見に行って、フットサルまでしてる。
(フットサルはトラップもまともにできず、誰よりも走る頑張り屋さんと言われるだけですが)

スタジアムで一緒にゴール裏から応援する友人は皆無ですが、
サッカーのお陰で知人友人はできました。



「書を捨てよ、街に出よう」じゃあないですけど、
「サッカーを見に行こう!」は、僕にとって最高の言葉です。

そして、それがセレッソの試合なら、極上のものになります。


今年、2016年もあとわずか、なんとか上位に位置していますが、
余談の許されない状況にいるセレッソ。

J3の試合も見れて、最高の週末を何度も味わっていますが、
どうしてもJ2は注目度が低いし、メディアの取り上げ方も少ないので、
今年こそはJ1に昇格できるように、いつもと変わらずですが、応援を続けていきます。



以上、セレッソでした。





追伸:

2015年に鳥栖へと移籍となった楠神順平のお別れ会では、
胴上げの中心に入ることができました。

移籍となったことは寂しかったですが、ボギョンの時にできなかったことのリベンジができて、
良かった。


他にも、移籍した選手。
村田和哉、船津、キムソンギ、吉野、播戸、松井謙也、井上翔太、南野拓実、枝村、
クソンユン、平野甲斐、黒木、小松塁、永井龍、扇原貴宏、そしてボギョンと清武。

僕がセレッソを応援してから移籍した選手はまだまだいますが、
みな頑張ってほしいです。そして対戦するときは大きな拍手で迎えます。

拍手[0回]

[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
ふるた
年齢:
47
性別:
男性
誕生日:
1977/11/24
ブログ内検索
最新CM
[09/14 ふぇでら]
[09/02 ふぇでら]
[02/02 ご新規1名様]
[11/06 すー]
[03/06 おんな]
QRコード
Admin / Write
忍者ブログ [PR]