×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「け」は健勇。
「ラララ、ラ~ラ、すぎも~とけんゆ~う、見せてくれ~よ、お前のゴ~ルを、
おれ~たちが~付いて~るぜ、ラララ、ララララ、ララ、けんゆ~~~、Let's Go!」
の健勇、セレッソのFW杉本健勇です。
ここに来て、ようやくサッカーの話がまともに出てきました。
それまでのマニアックな話ばかりで情けない。
さて、杉本健勇。
健勇のことを覚えたのは、セレッソのサポーターになった2011年の天皇杯。
この年はサッカーに興味を持ち始めて、ネットや新聞などでまめにセレッソのことを調べ、
そしてリーグ戦の最終節で初めてスタジアム観戦をして、
さらにはその試合が7-1の圧勝という結果でしたので、その直後の天皇杯からこれまで、
風邪の時以外は、女の子に振られた日も必ずホームゲームで観戦、今は熱烈な応援をしています。
それで、この2011年の天皇杯ですが、健勇は4-2-3-1の1トップでした。
この年のセレッソは清武、キム・ボギョン、倉田秋の3シャドーが縦横無尽に駆け回り
ゴールを量産するシステムと本とかネットで知りまして、
攻撃の要は2列目なのですが、その前に立つ選手の意味も多少の知識では理解しており、
前でキープする役目、そしてゴールもする役目と3シャドーを活かす存在が、
1トップであると認識していました。
そのポジションに立っていたのが当時18歳の杉本健勇。
ただ、この最初の出会い(?)は、その若いFWを起用することを不思議に感じていました。
と言うのも、試合開始から何度か、前にいたまま戻らず走らず、
かといって攻める際の存在感もなく、なぜこの選手を使うのかが分からなかったからです。
高さは十分にありましたが、それで何かしてくれることもなく、ただいるだけの存在。
これは後から知ったことですが、健勇が非常にポテンシャルが高い選手であって、
成長を促す意味でも起用されていたようですが、それを知らないわけですし、
知っていたとしても目立つことのない1トップにもっと頑張ってほしいなあ、
そういう思いで見続けたことが、健勇を覚えるきっかけでした。
ちなみに健勇がサッカーを本格的に始めたのは中学生からと、
他のサッカー選手に比べて圧倒的に遅かったにもかかわらず、
それでいてプロサッカー選手としてプレイしているわけですので、
それだけで非常にポテンシャルが高いことを示しています。
それからですが、セレッソのことを知っていくうちに、
健勇がセレッソのユース上がりの選手で、同じユース上がりのFWには、
1つ年上で今、長崎で活躍する永井龍や、すでにレギュラーで活躍する
山口蛍、丸橋祐介、扇原貴宏らがいることも知りました。
ファンとしてサポーターとして、こういう生え抜きの選手を知っておかないといけないですし、
できれば彼らに一番に活躍してほしいと、自然と思うようになりました。
とはいえ翌2012年、この年は外国人FWケンペスのスタメンが多く、
健勇の出番は限られていました。
ただ、この年はロンドンオリンピックがあり、そこへはセレッソから、
清武、蛍、扇原、さらに韓国代表としてキム・ボギョンが招集されました。
またオリンピック代表には、各クラブ3名までの縛りがあるらしいのですが、
(ボギョンは韓国代表なので対象外)
そんな中、健勇は自身の向上とオリンピック出場のために、
J2の東京ヴェルディに期限付き移籍を行います。
今のチームでスタメンになれず試合に出られないことと、
オリンピック代表に選ばれるための決断に対しては、
セレッソの選手として試合に出れないことは残念ですが、
期限付き移籍なので帰ってきてくれるわけですから、
ここは是非とも「手放したくない」と思われるぐらいにヴェルディで活躍して、
オリンピック出場選手に選ばれてほしいなあ、という気持ちで見ていました。
その結果はご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
ヴェルディでも活躍してオリンピック代表にも選ばれ、
オリンピックの試合ではあまり出場時間が長くはありませんでしたが、
しっかりと期限付き移籍で成果を出し目標を達成した訳ですから素晴らしい結果です。
後は早くセレッソでも活躍してほしいと願いましたが、そうことがうまく運ぶことはなく、
目立った活躍も少ないまま2012年を終え、代わりにこの年に徳島から帰ってきた
柿谷曜一朗がその才能を余すことなく発揮し、セレッソの顔として輝くことになりました。
この年だったか、その翌年だったか、時期に関しての記憶はあいまいですが、
健勇が出場した試合でゴール裏から「健勇、走れ~~!」と言う
ヤジにも似た声を聴いたことは、はっきりと覚えています。
これは人の容姿に対する悪口になってしまうのですが、声の主は10代と思わしき女の子ですが、
その子の体系が非常に、とても、ものすごく、まあ何というか”ぽっちゃり”でして、
自分は歩くのもやっとな体なのに、健勇に対して「走れ!」と罵っている。
「お前が言うんかい」とツッコミ、もしくは「お前が言うな」ときつくツッコミたくなったので、
その瞬間はなんとも忘れられない情景でした。
それでも2013年は、当時の香川真司が所属する、
マンチェスターユナイテッドとの親善試合で、柿谷、山口、扇原らがA代表で不在の中、
健勇は見事にゴールを決めて、その秘めたる才能を垣間見せるシーンもありました。
とはいえ、特に結果がすべてであるスポーツの世界ですから、
まだまだ健勇の活躍は少ないままでした。
2014年は、ご存知の方も多いディエゴ・フォルランが加入した年。
その年のセレッソ応援番組「ゴラッソ・セレッソ」で、
強力なFWの加入に対し、素直に自分の活躍が危ぶまれると漏らしていましたが、
その言葉通り不完全燃焼のままシーズンを終え、さらにはチームもJ2降格となりました。
このJ2降格については、別に健勇自身には問題がなく、
当時のフロントの方針が悪い方向へと進んでしまい、
前年から受け継いできた戦術の崩壊と1年のシーズンで2回の監督交代で、
これまで培ったものがなくなり、かつそれに代わるものを生み出せなかったことに起因します。
ここまでで健勇については、出場試合数で見れば悪くはないのですが、
FWとしてやるべき仕事、ゴールが多くなかったため、活躍は「少なかった」状態でした。
そのせいかもしれませんが、健勇のゴールはスタジアムが大きく湧きました。
残念なことにゴールが少ないわけで、その分決めたときのサポーターの喜びは
自然と大きくなっていました。
ですが、2015年、クラブ生え抜きの健勇は川崎フロンターレに完全移籍しました。
これを裏切り行為と呼ぶ人はとても多くいました。
これまでクラブに育てられた選手が、J2に降格したタイミングでJ1のチームに移籍する。
「許せない」と叫ぶ人もいました。
ただ、僕はそうは思いませんでした。
仮に「明日から給料を2割増し払うんで来てください」、と別の会社から誘われたら悩みます。
「倍の給料を払うんで来てください」と言われれば、条件を確認したうえで転職します。
ですから、健勇が移籍することは、特に短いサッカー選手生活の中で自分の価値を高めるため、
最善のことをしたまでだと考えています。
それでも残るべきだ、残ってほしいというのはファンの思いです。
ですが、出場できないチームで無為な時間を過ごすならば、
一念発起して新たなクラブで自分を試すことは間違っていないはずです。
もちろん僕自身の気持ちとしては、寂しく思い、そして残念でもありました。
ですが、この時の健勇がセレッソで一番のFWかと言えば、そうではありませんでした。
このままセレッソにいて強くなれるかと聞かれたら大丈夫ですとは、答えられませんでした。
ですから、全く違う場所で新たに活躍できるように移籍するという判断は、
批判や不満を口にするのではなく、応援するべきだと感じました。
ただし、その2015年の健勇の活躍は、主に試合結果だけでしか見ていませんが、
大久保嘉人という確固たるFWを脅かす存在になることができず、
これまでのシーズンよりゴールは多かったものの、悔しい思いをした1年だったようでした。
そしてセレッソは惜しくもJ1昇格ならずで迎えた2016年に、
驚いたことに健勇がセレッソに帰ってくることになりました。
それにはまた、一部のサポーターのなかで盛んに議論が溢れ出てきました。
裏切ったやつが何をしに帰ってくるのか、
フロンターレで活躍できなかったから逃げてきたのか、
中途半端な奴だ、そのような声が多かったと思います。
僕自身、復帰することについて悪く感じることはなかったのですが、
逆にうれしくもあったのですが、健勇の活躍については不安はありました。
まず、柿谷曜一朗が同じく帰ってきていること。これでFWの枠は1つ埋まっている状態です。
そして2015年から加入した、玉田圭司、田代勇三、さらに新たに加入した外国人選手。
厳しいレギュラー争いを強いられるわけですから、
帰ってきてくれたことは、曜一朗に対して同様に非常にうれしくも、
そして今日にいたります。
曜一朗の負傷により心配されたセレッソの攻撃は、
今、健勇が背負っています。
試合で見せる姿は、時に鬼気迫る表情を見せ、悔しいという気持ちは隠すことなく出します。
時に理不尽なサポーターの揶揄に対しては、憤りを見せ、怒りをあらわにします。
それは、この年の途中からのまだ十数試合のことですが、
かつて健勇を初めて覚えたときの、あの頼りなかった時から、
大きく飛躍した姿をピッチで見せてくれます。
つい先日、試合中に肋骨の骨折がありましたが、
曜一朗ともども早くピッチに帰ってきて、僕たちを勇気づけて欲しいと思います。
その代わりになるかはわかりませんが、
出せる限りの声でゴール裏から後押しして行きます。
一流なるためには、時間にして10,000時間が必要だそうです。
他の選手よりも遅くサッカーを始めた健勇は、ようやく10,000時間を迎えたのかもしれません。
悪い言い方をしましたが、ただいるだけのFWが今は欠かせない存在です。
一時は代表選手としても選ばれたこの選手は、これからもっとセレッソの中で、
そしていつかは代表選手としてより高く飛躍してくれると信じています。
「けんゆう、けんゆう、けんゆう、けんゆう、ゴ~~、
けんゆう、ゴ~~、けんゆう、ゴ~~オ~~!」
以上、健勇でした。
「ラララ、ラ~ラ、すぎも~とけんゆ~う、見せてくれ~よ、お前のゴ~ルを、
おれ~たちが~付いて~るぜ、ラララ、ララララ、ララ、けんゆ~~~、Let's Go!」
の健勇、セレッソのFW杉本健勇です。
ここに来て、ようやくサッカーの話がまともに出てきました。
それまでのマニアックな話ばかりで情けない。
さて、杉本健勇。
健勇のことを覚えたのは、セレッソのサポーターになった2011年の天皇杯。
この年はサッカーに興味を持ち始めて、ネットや新聞などでまめにセレッソのことを調べ、
そしてリーグ戦の最終節で初めてスタジアム観戦をして、
さらにはその試合が7-1の圧勝という結果でしたので、その直後の天皇杯からこれまで、
風邪の時以外は、女の子に振られた日も必ずホームゲームで観戦、今は熱烈な応援をしています。
それで、この2011年の天皇杯ですが、健勇は4-2-3-1の1トップでした。
この年のセレッソは清武、キム・ボギョン、倉田秋の3シャドーが縦横無尽に駆け回り
ゴールを量産するシステムと本とかネットで知りまして、
攻撃の要は2列目なのですが、その前に立つ選手の意味も多少の知識では理解しており、
前でキープする役目、そしてゴールもする役目と3シャドーを活かす存在が、
1トップであると認識していました。
そのポジションに立っていたのが当時18歳の杉本健勇。
ただ、この最初の出会い(?)は、その若いFWを起用することを不思議に感じていました。
と言うのも、試合開始から何度か、前にいたまま戻らず走らず、
かといって攻める際の存在感もなく、なぜこの選手を使うのかが分からなかったからです。
高さは十分にありましたが、それで何かしてくれることもなく、ただいるだけの存在。
これは後から知ったことですが、健勇が非常にポテンシャルが高い選手であって、
成長を促す意味でも起用されていたようですが、それを知らないわけですし、
知っていたとしても目立つことのない1トップにもっと頑張ってほしいなあ、
そういう思いで見続けたことが、健勇を覚えるきっかけでした。
ちなみに健勇がサッカーを本格的に始めたのは中学生からと、
他のサッカー選手に比べて圧倒的に遅かったにもかかわらず、
それでいてプロサッカー選手としてプレイしているわけですので、
それだけで非常にポテンシャルが高いことを示しています。
それからですが、セレッソのことを知っていくうちに、
健勇がセレッソのユース上がりの選手で、同じユース上がりのFWには、
1つ年上で今、長崎で活躍する永井龍や、すでにレギュラーで活躍する
山口蛍、丸橋祐介、扇原貴宏らがいることも知りました。
ファンとしてサポーターとして、こういう生え抜きの選手を知っておかないといけないですし、
できれば彼らに一番に活躍してほしいと、自然と思うようになりました。
とはいえ翌2012年、この年は外国人FWケンペスのスタメンが多く、
健勇の出番は限られていました。
ただ、この年はロンドンオリンピックがあり、そこへはセレッソから、
清武、蛍、扇原、さらに韓国代表としてキム・ボギョンが招集されました。
またオリンピック代表には、各クラブ3名までの縛りがあるらしいのですが、
(ボギョンは韓国代表なので対象外)
そんな中、健勇は自身の向上とオリンピック出場のために、
J2の東京ヴェルディに期限付き移籍を行います。
今のチームでスタメンになれず試合に出られないことと、
オリンピック代表に選ばれるための決断に対しては、
セレッソの選手として試合に出れないことは残念ですが、
期限付き移籍なので帰ってきてくれるわけですから、
ここは是非とも「手放したくない」と思われるぐらいにヴェルディで活躍して、
オリンピック出場選手に選ばれてほしいなあ、という気持ちで見ていました。
その結果はご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
ヴェルディでも活躍してオリンピック代表にも選ばれ、
オリンピックの試合ではあまり出場時間が長くはありませんでしたが、
しっかりと期限付き移籍で成果を出し目標を達成した訳ですから素晴らしい結果です。
後は早くセレッソでも活躍してほしいと願いましたが、そうことがうまく運ぶことはなく、
目立った活躍も少ないまま2012年を終え、代わりにこの年に徳島から帰ってきた
柿谷曜一朗がその才能を余すことなく発揮し、セレッソの顔として輝くことになりました。
この年だったか、その翌年だったか、時期に関しての記憶はあいまいですが、
健勇が出場した試合でゴール裏から「健勇、走れ~~!」と言う
ヤジにも似た声を聴いたことは、はっきりと覚えています。
これは人の容姿に対する悪口になってしまうのですが、声の主は10代と思わしき女の子ですが、
その子の体系が非常に、とても、ものすごく、まあ何というか”ぽっちゃり”でして、
自分は歩くのもやっとな体なのに、健勇に対して「走れ!」と罵っている。
「お前が言うんかい」とツッコミ、もしくは「お前が言うな」ときつくツッコミたくなったので、
その瞬間はなんとも忘れられない情景でした。
それでも2013年は、当時の香川真司が所属する、
マンチェスターユナイテッドとの親善試合で、柿谷、山口、扇原らがA代表で不在の中、
健勇は見事にゴールを決めて、その秘めたる才能を垣間見せるシーンもありました。
とはいえ、特に結果がすべてであるスポーツの世界ですから、
まだまだ健勇の活躍は少ないままでした。
2014年は、ご存知の方も多いディエゴ・フォルランが加入した年。
その年のセレッソ応援番組「ゴラッソ・セレッソ」で、
強力なFWの加入に対し、素直に自分の活躍が危ぶまれると漏らしていましたが、
その言葉通り不完全燃焼のままシーズンを終え、さらにはチームもJ2降格となりました。
このJ2降格については、別に健勇自身には問題がなく、
当時のフロントの方針が悪い方向へと進んでしまい、
前年から受け継いできた戦術の崩壊と1年のシーズンで2回の監督交代で、
これまで培ったものがなくなり、かつそれに代わるものを生み出せなかったことに起因します。
ここまでで健勇については、出場試合数で見れば悪くはないのですが、
FWとしてやるべき仕事、ゴールが多くなかったため、活躍は「少なかった」状態でした。
そのせいかもしれませんが、健勇のゴールはスタジアムが大きく湧きました。
残念なことにゴールが少ないわけで、その分決めたときのサポーターの喜びは
自然と大きくなっていました。
ですが、2015年、クラブ生え抜きの健勇は川崎フロンターレに完全移籍しました。
これを裏切り行為と呼ぶ人はとても多くいました。
これまでクラブに育てられた選手が、J2に降格したタイミングでJ1のチームに移籍する。
「許せない」と叫ぶ人もいました。
ただ、僕はそうは思いませんでした。
仮に「明日から給料を2割増し払うんで来てください」、と別の会社から誘われたら悩みます。
「倍の給料を払うんで来てください」と言われれば、条件を確認したうえで転職します。
ですから、健勇が移籍することは、特に短いサッカー選手生活の中で自分の価値を高めるため、
最善のことをしたまでだと考えています。
それでも残るべきだ、残ってほしいというのはファンの思いです。
ですが、出場できないチームで無為な時間を過ごすならば、
一念発起して新たなクラブで自分を試すことは間違っていないはずです。
もちろん僕自身の気持ちとしては、寂しく思い、そして残念でもありました。
ですが、この時の健勇がセレッソで一番のFWかと言えば、そうではありませんでした。
このままセレッソにいて強くなれるかと聞かれたら大丈夫ですとは、答えられませんでした。
ですから、全く違う場所で新たに活躍できるように移籍するという判断は、
批判や不満を口にするのではなく、応援するべきだと感じました。
ただし、その2015年の健勇の活躍は、主に試合結果だけでしか見ていませんが、
大久保嘉人という確固たるFWを脅かす存在になることができず、
これまでのシーズンよりゴールは多かったものの、悔しい思いをした1年だったようでした。
そしてセレッソは惜しくもJ1昇格ならずで迎えた2016年に、
驚いたことに健勇がセレッソに帰ってくることになりました。
それにはまた、一部のサポーターのなかで盛んに議論が溢れ出てきました。
裏切ったやつが何をしに帰ってくるのか、
フロンターレで活躍できなかったから逃げてきたのか、
中途半端な奴だ、そのような声が多かったと思います。
僕自身、復帰することについて悪く感じることはなかったのですが、
逆にうれしくもあったのですが、健勇の活躍については不安はありました。
まず、柿谷曜一朗が同じく帰ってきていること。これでFWの枠は1つ埋まっている状態です。
そして2015年から加入した、玉田圭司、田代勇三、さらに新たに加入した外国人選手。
厳しいレギュラー争いを強いられるわけですから、
帰ってきてくれたことは、曜一朗に対して同様に非常にうれしくも、
そして今日にいたります。
曜一朗の負傷により心配されたセレッソの攻撃は、
今、健勇が背負っています。
試合で見せる姿は、時に鬼気迫る表情を見せ、悔しいという気持ちは隠すことなく出します。
時に理不尽なサポーターの揶揄に対しては、憤りを見せ、怒りをあらわにします。
それは、この年の途中からのまだ十数試合のことですが、
かつて健勇を初めて覚えたときの、あの頼りなかった時から、
大きく飛躍した姿をピッチで見せてくれます。
つい先日、試合中に肋骨の骨折がありましたが、
曜一朗ともども早くピッチに帰ってきて、僕たちを勇気づけて欲しいと思います。
その代わりになるかはわかりませんが、
出せる限りの声でゴール裏から後押しして行きます。
一流なるためには、時間にして10,000時間が必要だそうです。
他の選手よりも遅くサッカーを始めた健勇は、ようやく10,000時間を迎えたのかもしれません。
悪い言い方をしましたが、ただいるだけのFWが今は欠かせない存在です。
一時は代表選手としても選ばれたこの選手は、これからもっとセレッソの中で、
そしていつかは代表選手としてより高く飛躍してくれると信じています。
「けんゆう、けんゆう、けんゆう、けんゆう、ゴ~~、
けんゆう、ゴ~~、けんゆう、ゴ~~オ~~!」
以上、健勇でした。
PR
この記事にコメントする