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「つ」はつっぱり大相撲。

おそらく、初の相撲ゲームではないかと思います、ファミコンソフトです。

ゲーム操作自体はシンプルで、組み合う前には張り手で攻撃し、
組み合ってからは、押し出しと引き込み。

対戦モードもあったと思いますが、メインは力士を1人作って、
幕下から横綱を目指すというゲームです。

作る力士は、名前を自由に決めることができて、その時に僕がつけた名前は、
こつこつ一勝ずつ価値を積み重ねられるようにと、「一勝ノ山」。

あまり欲張らず、見栄を張らず、着実に一歩ずつ、そういう思いで付けました。


まあ、名前なんでどうでも良いのかもしれないですけど、
当時のファミコンでは珍しく漢字を使えたというのは、さすが日本の国技をゲーム化しただけ、
あります。

また、廻しが取れてしまう、モロ出しなんてのも裏技で出せました。


このゲームのことが記憶に残っているのは、力士の名前。
その百勝とか千勝とか大きな数字じゃなくて、一勝という小さい数字を自分が付けたこと。

子供ながらに、こつこつ頑張ろう!と考えてつけたんじゃなくて、
強い名前を付けても、ゲームが下手なんで名前負けしたらヤダなあという、
子供らしからぬ理由だったこと。


何ともずるいというか弱気です。

子供同士で戦隊ごっこをするときも、
誰もが選びたがるレッドじゃなくて、その次に選ばれるブルーを先に選んで、
争わないようにしてました。

要領がいいと言うよりも、ケンカも弱くて運動もできない自分の処世術です。
知恵はあったんだと思います。



あと、このゲームは、友達から借りたゲームのなかで、
初めてクリアできたから、その分長く遊べたこともあって、
よく覚えてるんだと思います。

昔のゲームですから、バーチャファイターの鷹嵐のように多彩な技はまったく出ませんが、
それでもファミコンながらの良さがあって、毎場所15試合を勝ち越せるかどうかにらみながら、
徐々に徐々に格付けが上がって強くなっていく楽しさがあって面白かったです。

幕下からもうすぐ幕内に上がるところで上位力士に奮闘しながら負けたけど、
後になって上位力士を倒せたときの嬉しさ。


他のスポーツで1体1で勝ち上がっていくゲームって、そうないですよね。

ボクシングゲームの「パンチアウト」はチャンピオンを倒すため、
1試合1試合勝ち進んでいくゲームですけど、
相撲は一つの場所で15試合、それを何度も繰り返すんで、
負けても盛り返すことができたり、全勝を目指したりできて、
相撲という競技のシステムと言いますか、
それがいい感じでゲームにマッチしていたんで楽しめたんだと思います。



まあ、今同じゲームを楽しめるかというと、今はいろいろとゲームも進化したんで、
ただ相撲を取ってばかりだと飽きられてしまうんで難しいでしょうけどね。


という感じで、今日は短め。
つっぱり大相撲でした。




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「ち」は血です。

なんだか物騒な言葉に聞こえますが、「ち」で浮かぶ言葉は、血です。


他に、チュパカブラが浮かんだんですが、
チュパカブラについては何の予備知識もなくて、
好きな食べ物(?)が、血ということぐらいしか知りません。

結局、血に辿り着く訳で。


血と言えば、献血。


電車通学だった高校生時代、よく寄り道していた大阪日本橋に献血センターがあることを知って、
何の気なしに入ったのがきっかけです。

いいことするぞ!とか、美人の看護婦さんがいるからとか、
そういった何か目的や下心は全くなく、
やったほうが良いことなんだなあ、ぐらいで献血をしたのが始まりです。

高校生は、200ml献血しかできないのですが、
次に献血ができる日が来ると、直ぐに行くようにしていました。


まあ、暇を持て余していたってこともありますが。

ちなみに、大阪日本橋の献血センターには、当時「コラムス97」が置いてまして、
割と素早い操作を要求される落ちものパズルゲームなんですけど、
献血直後に結構熱くなってプレイしてました。いいんだか、悪いんだか。


高校、大学を経て、社会人になってから岩手県の盛岡市に転勤したときも、
盛岡の献血センターに行ってました。

毎回、行くたびに歯磨き粉をもらうんですけど、
そんなにすぐに消費するわけなく、たまる一方でした。


今は、天王寺の献血センターに行ってます。

何回か行くと、記念品をもらうんですが、人にあげては喜んでもらっています。
日用品とか頂けるんですよね。

ただ、献血に行くと運動できないので、
ジムとの兼ね合いで、いつ行こうかと思案している次第です。



ちなみに、血液には赤血球と白血球がありますが、白血球にも型があるそうで、
私の白血球の型と一致する人がいるらしく、過去3回ほど献血センターから
召喚の電話がかかって来たことがあります。


最初に電話が来たときは、こんなこともあるんだなあと驚いてましたが、
たまたまではなく、必要としている血液があれば、頻繁に電話がくるんで、
最近は特に電話が来る前に、献血に行けるようになったらすぐ行くようにしてます。



血。

献血に行くと、自分の血液型がRh+か、Rh-かも知ることができます。

ちなみに私はA型のRh+です。お困りの際はお声がけください。


豆知識ですが、日本人の約4割がA型、3割がB型、2割がO型で、1割がAB型だそうです。
さらに、Rh+はそれぞれの9割、Rh-は1割ほど。

ですので、AB型でRh-の人は、100人に1人の割合になります。


賢くなりましたね。



嘘か真か、高校時代の生物の先生は、両親がA型とB型で、
その4人の子供は、A、B、O、ABだそうです。

A型にはAAとAOが、B型にはBOとBBがあって、
AOとBOの組み合わせでは、A、B、O、ABが生まれるという話です。


ですので、A型同士の夫婦にO型が生まれる可能性もありますが、
夫婦のどちらかがAB型だと、たとえO型の人と結婚しても、O型は生まれてこないわけです。


ただ、隔世遺伝だったか、何かの理由で極々稀に違う血液型の子もできるとか、できないとか。



血。


これまでの人生で出欠は鼻血と、痔ぐらいですね。
穏やかな人生ですし、それに越したことはない。


島田紳助は、伊丹十三が「スゥイートホーム」を撮ったときに、
ホラーでも血が出ると見れないと言ってたことを覚えています。

ラストしか見てないけど、トヨエツと武田真治の「ナイトヘッド」のラストは、
あたり一面が血の海でした。


1巻か2巻しあ読んでないけど、西谷史の『神々の血脈』の登場人物の1人が、
自分の血液を相手に浴びせることで石化させる能力でした(だったはず)。


血が噴き出すシーンというのは、リアルなものとそうでないものがあって、
下手な場合は、無駄に血を見るので興ざめします。

サムスピは、血が出まくってたなあ。


なんだかまとまりがなくなりましたが、
以上、血でした。



是非、皆さんも献血に。






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「た」は煙草です。


吸いだしたのは思い返すに26歳の時。

仕事場の先輩が吸っているのを見て、ちょうど長期出張中ということもあって、
俺も一緒にさぼりたいなあ、という理由で吸い始めました。

パーラメントのキングサイズは長く吸えるので最初に選んだ銘柄。
そのあと、いろんな銘柄を調べてたらフィリップモリスがチョコの味がするらしく、それに変更。
ケントが細小さいのを出したんで、持ち運びに優れて吸い殻も小さいと嬉々として吸っていたら、
会社の後輩から「ふるたさん、その煙草、きもいですよ」と何度も言われ続けて、
ケントの普通サイズのメンソールになって今に至ります。

後輩からもいじられる。



親は吸いませんが、母方の祖父母は喫煙者でしたから、
煙草の煙自体、それほど気にならない性分だったと思います。

それより煙草で一番古くてよく思い出すのは、小学生時代の担任の先生が、
「先生、タバコ吸うんでベランダを空けて(独占させて)」と言って、
教室のベランダで煙草を吸っている姿でした。

それまで、担任の先生はずっと女性でしたから、
初めての男の先生だったので、とても慕ってたものですから、
いろんなことを思い出として刻んで過ごしてたんだと思います。

僕自身、父親が自営業で非常に仕事人間だったもので、休みなく働いている人でしたから、
親子でキャッチボールとか、キャンプとかまったくなくて、
それで大人の男の人に、父親から得られない父性を感じて、懐いてました。



それからの煙草については、高校三年生の時に、クラブのOBの人が
大阪城公園駅で煙草を吸っていたことをすぐに思い出します。

その時で大学2年生でしたから未成年なんですけど、
「煙草、吸われるんですね!?」と驚いたことを記憶しています。
「前から吸ってるで。百害あって一利なしやけどな」と言われてたことも、よく覚えています。


不良とか、悪い人とか、そういう善悪についてはまったく気にならず、
それより運動部にいて煙草を吸っていてキャプテンだったことにびっくりしたのと、
煙草のことを「百害あって一利なし」と言う言葉を、文章ではなく言葉で聞いたことが、
記憶に残りました。

たしかに、お酒は百薬の長と言われてますが、タバコは健康を害するものでしかないんで、
その通りなんですけど、それをさらっと言いながら吸っている先輩に、
おかしな言い方ですけど感心していました。



煙草。


まあ、大小いろんな思い出がありますけど、
喫煙所にいることで、仕事場では話しづらい雑談とか、
日常会話とかができることにメリットがありますね。

煙草を吸う数分だけで話も切り上げることができますし、
時には自分よりもえら~い人とも忌憚なくお話しできたり、
タバコミュニケーションなんて言い方もありますけど、
同じ会社でも違う作業をしている人としゃべれるのはメリットと感じてます。

メリットのためだけに吸っているんじゃなくて、好きでタバコを吸ってますが。



とは言え、今日日の喫煙者は吸える場所が少なくなって肩身の狭い思いをしてまして、
タバコ仲間も少なくなってるのが現状ですが、
そんな中で吸う人がいると嬉しくも思ったりします。

TRPGの場所で吸う人はだいぶ少ないんですけど、
元グループSNEの力造さんとお会いして、セイクリッド・ドラグーンを遊ばせていただいたときは、
喫煙場所が無くて、直ぐ近くのゲーセンに一緒に行って話したのを覚えてます。

それと、前回のソードワールド感謝祭に来ていただいた大井さんも喫煙者でしたので、
お話しできて良かったです。



ちなみに私が吸うたばこは、これまでずっと1mgの煙草で、1日に数本数は5本~10本程度なので、
吸い始めたときから「止めれるやん」「止めとけ」と言われますが、
どうにもやめられないですね。

酒も博打も女も止めれましたが、煙草はどれも止められない。
(酒も博打も女も、全然やってませんけど)



煙草。


少年漫画ながら、ジョジョの第三部は喫煙者が多かったような。承太郎しかり、ポルナレフしかり。

海の上で「煙草がしけちまった」「乾かす時間はいくらでもある」という会話。
ポーカー勝負の際に、煙草を吸う承太郎に焦るダービー(兄)。
ポルナレフが投げた煙草が原因で、知らないところでボヤ騒ぎ。
ディオが自分の回復度合いを見せるために、両手の指に煙草を押し付ける。

そう言えば、第四部以降で承太郎が煙草を吸うシーンは記憶にないなあ。



NARUTOで、シカマルがアスマの敵を討つまで、タバコをくゆらせてたのは印象的。



がんばれゴエモンは、キセルで攻撃するけど、これは完全に武器としてのイメージしかない。



メタルギアソリッドの序盤、胃に隠してた煙草を吸うスネークは非常に印象的。



デビルサマナー・ソウルハッカーズの序盤、
煙草を車の窓から捨てるCGは当時きれいだったけど、マナーは悪いですね。




カウボーイ・ビバップの第1話、スパイクが空腹の中、占い師のパイプを吸いながら、
他に腹を満たせるものはないかと聞く姿も印象的。あと、ビバップの3人はよくタバコ吸ってた。

ビバップ号は喫煙可な宇宙船。




読んではないけど、あの銃でドンパチやる漫画はみんなタバコを吸ってる。
(まったくタイトルが出てこない、アニメにもなってたけど)



ウルトラマンとか仮面ライダーとかスーパー戦隊には煙草は出てこないなあ。
敵の怪人ならいそうだけど。



まあ、ゲームや漫画とかに限れば、煙草は大人だったり、ちょい悪なアイコンですね。

俺も悪いよ~、歩き煙草とかしちゃうもん。あと、歩き読書も。
歩きながら本読んで、地下街とかうろちょろしてるもんね。

でも、駅から家に帰るときは無理。いくら街灯があっても本は読めない。




喫煙場所は少なくなってますけど、そうなってから吸い始めたんで、
まあこんなもんと思ってます。

ただ、もし新しく喫煙場所を作ってくれるなら、ジムの中に作ってほしい。
運動の後の煙草のうまいことったら、この上なし。

でも、もしジムの中に喫煙所ができたら30分おきに吸いに行っちゃいそうで駄目ですね。




以上、煙草でした。

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「そ」はソード・ワールド。

また、長いお話。


最初にソード・ワールドを見たのは、
富士見書房のドラゴンマガジンに掲載されていたリプレイ。

もう懐かしい、山本弘が描く1作目のシリーズ。
今ではスチャラカなんて呼ばれ方もしてたソードワールドのリプレイの、
2話目でした。

そもそもドラゴンマガジンを購入するのも、かなり珍しいと思います。
それまでラノベも読んでないし、何一つ知らない話と内容の中、
ただ<ドラゴン>という当時の子供心を揺さぶる単語に惹かれ買った次第です。


もちろん初めて呼んだリプレイですから、
ト書きで終始書かれた内容にどういったものかもまるで分らず、
ただキャラクターデータと、草薙琢仁さんの絵だけですっかり魅了され、
その時はまったく内容もわからないままに好きになっていたことを覚えています。

それからどうしたわけか、ルールブックにめぐり合い、
少ないモンスターに困ったり、5レベルより先のデータがないことに焦ったりとしましたが、
上級ルールブック2冊も無事に出て、後は週2回のTRPGに興じた中学時代でした。


まあ、興じたといっても行き当たりばったりのシナリオで、
今となってはその潔さと言うか迷いのなさと言うか、
とてもじゃないけどそんな遊び方はできないわけで、
それでも何か楽しいものがあったんでしょうね、それなりに続けて遊んでいました。

遊んでいたといっても、友達はたくさんいるほうじゃないから、
無理やり集めた3人のプレイヤーに、1人のGM。

数は少ないから、プレイヤー1人につき2人のPCという遊び方でしたが、
それでも満足してましたね。


パーティー全員が一角獣(ユニコーン)騎士団のメンバーで、
白虎剣(グレートソード+1)、青龍槍(ロングスピア+1)、
玄武鎧(プレートメイル+1)、朱雀刀(バスタードソード+1)、
と中二病全開の装備を与えて冒険してたり、
他にはソーサラーとシャーマンとスカウトを持つPC、
ファイターとプリーストとソーサラーを持つPCのW主人公とか、
まあ、我ながらいいセンスしてる気はするんですけどね。


ほんと、よく遊んでましたね。

初期作成の経験点からさらに経験点を少なくして、
PC1人1人に、序章を用意してPC以外のNPCと冒険を1度こなしてから、
全PCが集結するとか、それが10レベルまで続く壮大なものもありましたし、
今となっては全くしないですが、その頃は頻繁にオリジナルモンスターも出してました。


ドラゴンブックもその当時は良く買ってましたね。
実際ソード・ワールドも大好評でしたし、日本のTRPGをけん引してましたから、
特集記事とか、小冊子の付録とかは当時の宝物でした。


ただ、中学を卒業してからは遊ばなくなって、それでもリプレイは毎回購入してましたけど、
やりたい気持ちが徐々に高まって、そんなときにネットで調べたら意外といろんな場所で
遊ばれていることに驚きまして、さっそく馳せ参じることになったのは、社会人になって数年目。


場所によっては、運行が下手なところもあったり、
シナリオが悪いところもあったりでしたけど、
まあ、それでもソード・ワールドがやれたんだからいいか。

そう思いつつすごしてましたら、
そのタイミングで「ソード・ワールド2.0」が登場するというニュース。

これまでと全く違う世界観、新しいシステムへの変化、期待大。
発売が待ち遠しいと思いながら、またネットで調べてソード・ワールドを遊びに行った先で、
行われたのは「ソード・ワールド2.0」

今は神我狩のリプレイを書かれてる佐々宮智志さんがGMで開催されたセッションが、
ゲラ状態の2.0のルールでした。

力造さんと懇意らしく、SNEのこともよくご存じで、
その時に発売前の2.0のルールもゲラの状態でしたけど、持ってこられてて、
まあ、発売前のゲームはできるし、こりゃいいなってな感じで。

そこが今も参加してるサークルRE;Dでして、
ここは他のサークルと違って事前予約できることが大きいんですね。

他のサークルとかだと、参加したいシステムがあっても、
当日に抽選でたくさんかを決めますから、時には遊びたくないシステムにも参加させられてしまう。


これが、何気にきつい。
TPRGなんでものは、6時間はかかる遊びですから、そんな中で、
好きでもないシステムを強制されるのは非常に厳しい。


それもあってRE;Dの参加しやすさが交換を持てましたので、
ちょくちょくと足を運んで、いまはもっぱらGMしてます。

とはいえ、セレッソの試合と重なったりするんで、
月1回行けるかどうかですけどね。



それはさておき、ソード・ワールドです。

このシステムの好きなところは、
能力値がコンピュータRPGみたいにバカバカ上がらないところ。

ドラクエとかFFならHPが、2桁から3桁、4桁になりますが、
ソード・ワールドではHPはまず上がらない。

最初のHPが10点なら、基本は10点のまま。
能力値も、筋力が20なら20のまま。

でも、技能レベルが上昇すれば、ちゃんと強くなる。
これまで苦戦した敵にも対等に渡り合える。

そのバランスの良さが、まず好きでした。


それからレーティング表。

他のシステムだと、ダメージ計算に用いるダイスは、そのまま用いられます。
例えばロングソードのダメージがD6+5点なら、値は6~11。
グレートソードのダメージD10+5なら、値は6~15。

違う武器でも最低ダメージは6と同じ。
また乱数としてみてもかなり大味だし、より大きなダメージを出そうとすると、
4D6+5でダイスがたくさん必要になるか、
もしくはD6+30とかで固定値が大きくなりすぎてダイスを振る意味が薄くなります。


でもソード・ワールドはレーティング表を用いることで、
常にダイスはD6が2つながら、幅広くダメージを作れるわけで、
それも好きになる理由の1つでした。


むろん、今では2.0も出ていますから、ソード・ワールドのデメリットもはっきりとしてますが、
それでもこのシステムは当時から見ても素晴らしいものでした。


あと能力値の決定も非常に納得の作り。

多くのシステムが、筋力、知力、敏捷、生命力などを個別に決めますが、
ソード・ワールドは関連する能力値は一方が低くて一方が高くなることもないんですよね。

例えばすべての能力値は3D6、6面ダイス3個で決めるシステムですと、
ですから筋力が18でも、生命力は3のいびつなキャラクターになりますが、
ソード・ワールドでは、筋力は<E>と<F>の合計、生命力は<F>と<G>の合計、
このE~Fは全て2D6、6面ダイス2個で決めますので、
仮にEの値が12でもFの値が2になれば、筋力は14しかなく、
Gの値が7なら生命力は9にしかなりません。

もしEの値が12で、Fの値が10なら、筋力は22と高く、
Gの値が7なら生命力も19と高いので、ムキムキなのに病弱という、
おかしなキャラにはならないようにできています。


そこも理にかなったシステムでして、当時としても画期的でした。


もちろん他のシステムではいびつなキャラクターにならないよう工夫もありますが、
ここまでよくできたものは少なかったと思います。


ルールブックもすべて文庫版だったのが良かったですね。

いまは商業ベースなど理由もたくさんあるでしょうから、
なかなかすべてのルールを文庫で展開するのは難しいでしょうけど、
当時は他に遊びやすいシステムもなかったですし、
出来が非常に良かったんで、文庫だけの展開でも十分いけたんでしょうね。



何にせよ、ソード・ワールドのお陰でTRPGの魅力を知ることができて、
今もTRPGで遊んでますんで、いい出会いでした。


スーパーファミコンで発売されたのも面白かったですね。
最初にクリアしたときに表示されたシナリオ回収率が30%ほどだったときは、
まだ他にもあるのかとうれしく思ったぐらいです。

それに比べると、2.0のゲームは不遇ですね。
DSにせよ、アプリにせよ、ネタにしかなってない。


まあ、それはさておき、ソード・ワールド。

これが無かったら、出会ってなかったら、今TRPGで遊ぶことはなかったでしょうね。
そして徹夜でシナリオ作るという楽しい機会もなかったかと思うと、
本当にいい出会いだったと思います。



スチャラカのリプレイについては、よくある世界平和とか、魔王退治とか、
そういった大鉈を振るうような大きな話じゃないところが好きです。

市井の平和を守るというか、割とのんびりした感じもあって、
そこはプレイヤーの活躍もあってですが、そういったミクロな冒険が楽しいと思っています。

むろん最高レベルに到達すれば、出てくる敵も世界レベルの強敵になっちゃいますけど、
限られた強さしかないPCが一生懸命になって町の平和のために奔走する、
そういったシナリオが作れるのもTRPGの魅力と思えます。



以上、ソード・ワールドでした。


追伸:
 PCの名前を決めるのは楽しい行為と思います。

 リーシャン・コバルト
 アーク
 ティリアン
 イーグ・ランフォース
 モナング・シャン
 ジェーマン・ティム・コルフ

 これらはソード・ワールドで僕の作ったPC。


 ゾッド・ハリスマン
 ファール・ムリア・シュラン
 ロン=カールス
 ライ・クレミアス
 ジーン・カルツェランド
 ワイズ・ブライト
 ニッキー・バジーナ
 オード
 フォー・ミュラー

 これはソード・ワールドで友人の作ったPC。
 他に漫画や映画の登場人物なんかもありました。


 翻って今、僕がPCを作るときはセレッソの外国人選手の名前ばかりつけますが
 セッションとかコンベションで名前を決めるのに四苦八苦される方が多いのは、
 もしかしたらそれは、PCを大事にしようとする思いの現れかもしれませんね。

 僕はセレッソ載せsにゅが好きなので、それだけで十分思い入れが大きいですけど、
 そうじゃない方は、いろいろなこと思って名前を決めてるんだと思います。


 逆にGMのときに、適当な名前付けるプレイヤーがいたら、
 6ゾロで殺してやろうと思っちゃいますけど。


ともかく、ソード・ワールドでした。

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「せ」はセレッソ大阪。

今日からまた、ブログも平常運転の予定。


で、セレッソ大阪。

以前も書いた話ですが、出会いは他愛ないもので、
「ジャイキリ」読んで、サッカーにはまって、最初に見たJリーグの試合がセレッソ対ガンバで、
どこかチームを応援するなら、家に近いほうのセレッソを応援しよう、が今のセレッソとの
最初の出会いでした。



2011年の最終節が最初のスタジアム観戦で、
その年に移籍した乾貴士や、その前に移籍した香川真司のことなど、まったく知らず、
この時は3シャドーの清武とキムボギョンがお気に入りでした。

この時、7-1で勝ってなかったら、もしかしたらセレッソにはまる速度は遅かったかも、
と思ったりもします。


ただ、この時点でサッカーについてはずっぽりと、はまっていましたから、
サッカー関連の本は読み漁っていましたけど、
その中の1つ、エルゴラのサッカー年鑑でこの後移籍する清武や、ボギョンではなく、
丸橋祐介を大きく取り上げてたことに驚きでした。

この当時は、たくさんいる選手の1人ぐらいとしか認識してなくて、
(まあ、セレッソの試合をちゃんと見始めて1か月程度ですから)
その中で左サイドバックのこの選手がなぜ取り上げられるのか、
実際は、パス交換や攻撃の起点となる部分が多いからなんですけど、
まだ有名選手しか知らない自分にとっては、そうなのかなあ、
でもそうなんだろうなあ、というよくわからない感想で見ていました。

今となっては、セレッソで絶対の左サイドバックとして君臨する大好きな選手ですけど。
まあ、ほとんどの選手を知りませんでしたから、当時のことを思うと、
無理もないですし、今となてっては、ほんとセレッソ愛が大きくなっています。



そのあとすぐの2012年からファンクラブに入って、年間パスポートも買って、
スタジアムの片隅(カテゴリー4)で小さな声で控えめな応援をしながらも、
足しげくホームゲームに駆けつけてました。

今も変わらず、よく食べるスタジアムグルメはホルモン丼。

好きな選手を一人に決めきれず、ユニフォームの購入は断念していましたが、
この2012年に清武がドイツに移籍、ラスキヨゲームの浦和戦は、
大阪では珍しく地上波でテレビ中継もされました。

また、この年は、清武、蛍、扇原に期限付き移籍中の健勇、
さらに韓国代表としてキムボギョンがロンドン五輪に出場となり、
スタメン4名+控え1名が不在となる厳しい状況でして、
ソアレス監督が途中解任、2011年まで指揮を執っていたレヴィーが返ってくるという
サプライズもあったりでしたが、充実した一年目となりました。

清武移籍後に、ボギョンの移籍も決まり、急遽行われたお別れ会は、
平日でしたが夏休みを急いで取って、南津守まで行きましたね。

ここでユニフォームではないですが、
ボギョンのコンフィットTシャツを購入したのが、初めての選手のグッズになります。

ボギョンのお別れ会では、一人ずつ握手してもらい、
加えて銅メダルも触らしてもらいましたが、
最後の胴上げの輪の中には入り込めず、その外周で動いてました。

この時の地味に悔しい思いは、別の機会でリベンジしてます。


ちなみに、この年に徳島から帰ってきた柿谷曜一朗のことは全然知らなくて、
後半途中交代で出場したときに、思いっきり間違えて「播戸~~~!」と叫んで、
恥ずかしい思いもしましたが、今となってはいい思い出です。

あと、この年の外国人選手は、ケンペスとブランキーニョ(2013年、ブランコに登録名変更)。

ケンペスは、シュート決定率が非常に悪く、一部でケンペス師匠とまで言われてましたが、
どうもセレッソとの相性が悪かったようで、翌年ジェフに移籍したときは、
J2ながらも得点王になってました。

ブランキーニョは、10番を背負ってましたが、鳴かず飛ばずでそうそうに移籍。

逆に、レヴィーと一緒のタイミングで入団したシンプリシオは大当たり。
清水からの途中加入の枝村とともに大活躍で、
レヴィーがこの年初めて指揮したアウェイ神戸戦は、
丸ちゃんの退場で10人となったにもかかわらず、2-0を逆転するという
非常にスぺクタルな試合だったことを今でも覚えています。

試合終了後、ロッカーから出てきた裸足の丸ちゃんの安堵の表情も忘れられませんでした。


何にせよ、外国人選手がフィットするかどうかは難しいところというのは、
知識としては知っていましたけど、それを実感することができたわけです。



2013年は、セレッソがイケイケどんどんの年で、
曜一朗、蛍、扇原がA代表に招集されて、かつアジア大会で、
曜一朗が得点王、蛍がMVPとまさに注目の的となりまして、
公式戦のチケットは完売するわ、セレ女ブームは来るわで非常ににぎわった年でした。

リーグ戦も、優勝争いに加わりながらも4位と言う成績で、
俗に言われるジェットコースタークラブの名に恥じない活躍でした。
(いい年と悪い年の、差が激しいクラブという意味です)


外国人選手は、前年に引き続き番長のシンプリシオに、期限付き移籍から戻ってきたブランコ、
そしてFWのエジノ。

エジノもなかなかゴールを量産できず、苦労してたのを覚えています。
それとブランコもなかなか出場機会を得られず、退団の運びに。




この年か、この前年ぐらいからか、サポーターの活躍についても、知るようになりました。

スタジアムに早くに行って、弾幕を準備して、試合終了後は遅くまで残って、後片付け。
アウェイの試合にも帯同し、時に選手が退団するときは、お別れを言いに行き、
外国人選手や監督であれば、空港まで行って別れを惜しむ。

試合中は一時も休まず応援し続け、新しい選手が加われば、
その選手のチャントを考え、それを皆に広め、雨が降ろうが風が降ろうが一生懸命に応援する。


自分がサッカーを見てたのは、最初は新聞の試合結果、
その後はネットの記事、公式サイト、雑誌などの記事でしたが、
選手以外の、クラブスタッフでもない人間が、自分の応援するクラブのために、
必死になっていることに深く驚きました。


そして、自分もその中に加わりたいけど、いきなりは無理だから、
せめて何か手伝うことはしよう、そう思いゴール裏に行くようになり、
よりセレッソに深くかかわりたいとも思うようになって、
開幕前の体制発表会や、事業部意見交換会などにも行くようになりました。

体制発表会は、新加入選手のお披露目とあいさつや、スローガンの発表などに加え少しの質疑応答。

事業部意見交換会は、セレッソの事業部が行ってきた活動。
主には営業活動や、ファンクラブ、入場者数についてと、
スタジアム内外での活動などの報告とクラブに対する強化以外での要望を集めることなど。


まあ、試合観戦以外の場所にも行くようになった訳で、ほんとセレッソが一番ですね。
良し悪しありますが、ただ何か好きなことに一生懸命になれることは、素晴らしいと思います。

自分で言うのもなんですが。



2014年は、フォルランが来たけど、J2降格と言うネタとしか言えないような1年。

ブラジルワールドカップイヤー。
蛍は今や代表のスタメンとなりましたけど、曜一朗はあまり出場できずもあって、
スイスのバーゼルへ移籍もあった年。

曜一朗の最後の試合、泣きながら別れの言葉を言う曜一朗に対して、
ゴール裏から「泣くな!曜一朗!」と号泣しながら叫んでました。

二度の監督交代もあって、ひどい1年を経験しましたけど、
降格が決まったときは、覚悟が付いていたんでショックは大きくなかったです。

それにJ2に行こうが、さらに降格しようが、
自分がセレッソを応援し続けることには変わりないから、
来年はよりもっと大きな声で応援しよう、そう思った年でした。

まあ、悔しいのは悔しいですけど、
レヴィーが培ったチームの経験値がゼロになってしまったわけですから、
そして新たなチームへと成長していく中で、直ぐにそれを変えてしまったんで、
いくら蛍やボギョンの現役代表選手がいて、フォルランやカカウなどのビッグプレイヤーがいても、
チームの組織力は無い状態でしたから、そりゃうまくいかんわな、とよりサッカーたるものを
理解できた年でもありました。



そして2015年、J2での再出発はご存知の方も多いでしょうが、あいにく昇格ならず。

上位にはいたんですけど、自動昇格圏内に入れず、
最終的にはプレーオフの決勝で福岡に同点にされ、リーグ戦順位で下のセレッソは昇格ならず、
という非常に悔しい結果となりました。

さすがにこの時は悔しかった。
1点で天国と地獄に代わる、プレーオフの恐ろしさを痛感しました。

あと、初めてスタジアムで観戦した2011年の試合が福岡戦でしたので、
その福岡とJ1をかけて争うことに、何か感慨深いものも感じました。

あの時は7-1で勝ったのに、4年後に1-1で試合は引き分けても、勝負に負けるという悔しさ。


それでも、この最後の試合、スタジアムで入場者に手渡されたピンクの旗を、
配ったり回収したりする作業を手伝いながら、
多くのサポーターさんは泣き言も言わず、せっせと準備や後片付けをしてました。

そして、遅くなった帰り時間、「また来年頑張りましょう」と言って終わった12月最後の試合。

どうも内気な性格なもので、毎試合ホームゲームには行ってますけど、誰ともしゃべらず、
ただひたすらに大声で応援してますから、こうやって少しでも他のサポーターさんと何か、
一緒に作業ができるのはうれしく感じます。


他にもこれまで、ビッグフラッグの出し入れや、コレオグラフィーの準備と後片付け。
エンブレムシートの修復とか、参加できるものは極力参加してます。

それもこれも、セレッソと言うクラブが好きだからなんですよね。
無償の愛、報酬なんてもちろん出ませんし、不要です。

ただ、チームを後押しで来たらそれでいい。
自分たちの応援が選手の力になってくれれば満足。


そう、ひょんなことからサッカーに興味を持って、その面白さに気付き、
チームの浮き沈みを見てきた僕は、知らず知らずのうちに、サポーターになっていました。



少し前に、中学からの腐れ縁であるトリヤマに言われて、確かにそうだなと思いましたが、
「中学の自分(僕)が、今の自分を見たら驚くやろな。サッカーを応援してるなんて」

本当にそうです。

小学校、中学校とまったく運動もせず、ただゲームばかりしてきたような自分が、
今はサッカーを見に行って、フットサルまでしてる。
(フットサルはトラップもまともにできず、誰よりも走る頑張り屋さんと言われるだけですが)

スタジアムで一緒にゴール裏から応援する友人は皆無ですが、
サッカーのお陰で知人友人はできました。



「書を捨てよ、街に出よう」じゃあないですけど、
「サッカーを見に行こう!」は、僕にとって最高の言葉です。

そして、それがセレッソの試合なら、極上のものになります。


今年、2016年もあとわずか、なんとか上位に位置していますが、
余談の許されない状況にいるセレッソ。

J3の試合も見れて、最高の週末を何度も味わっていますが、
どうしてもJ2は注目度が低いし、メディアの取り上げ方も少ないので、
今年こそはJ1に昇格できるように、いつもと変わらずですが、応援を続けていきます。



以上、セレッソでした。





追伸:

2015年に鳥栖へと移籍となった楠神順平のお別れ会では、
胴上げの中心に入ることができました。

移籍となったことは寂しかったですが、ボギョンの時にできなかったことのリベンジができて、
良かった。


他にも、移籍した選手。
村田和哉、船津、キムソンギ、吉野、播戸、松井謙也、井上翔太、南野拓実、枝村、
クソンユン、平野甲斐、黒木、小松塁、永井龍、扇原貴宏、そしてボギョンと清武。

僕がセレッソを応援してから移籍した選手はまだまだいますが、
みな頑張ってほしいです。そして対戦するときは大きな拍手で迎えます。

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「す」はスーパーロボット大戦。

俗に言うスパロボですが、リアルロボットの対比で用いるスーパーロボットではなくて、
ゲームのスパロボです。


1作目は初期の、あの白黒のゲームボーイで出たソフトでして、
おもちゃ売り場でこのゲームのポスターを見たときは、今時ゲームボーイでSDキャラのゲームか、
売れるのかなあ、と勝手なことを思ってました。

だいたい何でも初見は上から目線で失礼な想像をしている人間ですね、僕は。


それからしばらくたって、友人の山岸が「スパロボEXは面白い」と言っていたのを、
興味なく聞いていましたが、当時は昼飯を抜いて小遣いにしてたんで遊んでみたところ、
これが割と面白い。


スーパーロボット大戦は、ガンダム、ゲッター、マジンガーなど、
それぞれの作品のロボット同士、協力して戦う趣味レーションRPGで、
1作目はパイロットの概念はなく、ZファンダムやアフロだいAらが自らしゃべるゲームでした。

2作目はファミコンソフトで、この時からパイロットが登場し、
3作目はスーパーファミコン、登場する作品が増えロボットん種類も豪華になっていき、
4作目がスパロボEX、スーパーロボット大戦EXの名のとおり外伝的な作品で、
2作目から登場したバンプレストオリジナルのサイバスターなどを
主人公に据えたゲームとなっています。

ゲームのコンセプトとしては、昔の東映マンガ祭りという映画で良く上映された、
ゲッターロボVSグレートマジンガーなど、他作品のロボットが共闘して戦う作品で、
それをより作品数を増やし、違うアニメのキャラクター同士が協力しながら戦う、
クロスオーバー的なものになっています。


今年ではスパロボ25周年の節目を迎えましたが、
ここに至るまでに相当数のゲームが発売されています。

以下、各作品の概要を紹介。


・スーパーロボット大戦(GB)
 記念すべき第1作品。先述の通りパイロットはなし。

・第2次スーパーロボット大戦(FC)
 パイロットが登場。オリジナルロボットのサイバスターが登場した記念作。

・第3次スーパーロボット大戦(SFC)
 これまでガンダムシリーズ、ゲッターシリーズ、マジンガーシリーズのみだったゲームに、
 新たにライディーン、コンバトラーVなどの新たなロボットが参戦。

・スーパーロボット大戦EX(SFC)
 3つのストーリーモードが搭載された外伝作。新たにダンバインやゴーショーグンなどが参戦。
 また黒い三連星や、ジェリド、黒騎士バーンなどの敵キャラも使えた珍しい作品。

・第4次スーパーロボット大戦(SFC)
 オリジナル主人公が登場。男女4人から1人を選択。
 ロボットもリアルタイプとスーパータイプの選択が可能。
 エルガイム、ダンクーガ、ザンボット3などが参戦。
 
・第2次スーパーロボット大戦G(GB)
 FCのリメイク。システムを第4次準拠に変え、GガンダムとVガンダムが追加。

・第4次スーパーロボット大戦S(PS)
 SFCのリメイク。初めてボイスが付いた作品。

・新スーパーロボット大戦(PS)
 SDキャラではなく、リアル等身のロボットで描かれた作品。
 ガイキング、ボルテスV、レイズナーなどが新規参加。
 またオリジナルユニットSRXが登場した作品。

・スーパーロボット大戦F(SS、PS)
・スーパーロボット大戦F完結編(SS、PS)
 第4次のリメイクで、当時人気のエヴァやガンダムWに、イデオン、ガンバスターなどが参戦。
 完結編は、Fの続編となっていてセーブデータを引継いで始めることも可能。
 いずれもPSでリメイク。
 
・スーパーロボット大戦COMPACT(WS)
 援護攻撃システムが搭載された作品。

・スーパーロボット大戦64(64)
・スーパーロボット大戦ンリンクバトラー(GBC)
 初めて合体攻撃システムが搭載された作品。GBCと64を連動させることで、
 64に追加ユニットを登場させることが可能。

・第2次スーパーロボット大戦(PS)
・第3次スーパーロボット大戦(PS)
・スーパーロボット大戦EX(PS)
 Fのシステムでリメイクされた作品。

・スーパーロボット大戦COMPACT2(WS)
 第1部、2部、3部と3作でリリースされた作品。データを引き継いで遊ぶことが可能。
 後のOGで主役となるキョウスケ、エクセレンの2人と、
 アルト・アイゼン、ヴァイスリッターが登場した作品。
 マシンロボ、忍者戦士飛影などが参戦。

・スーパーロボット大戦α(PS)
 戦闘アニメの大幅な向上と、多数の参戦ユニット。
 第4次(F、完結編)以来の男女4人ずつの主人公に、リアルタイプかスーパータイプかを
 選択するシステムが再登場。
 冨野作品以外のリアルロボット、マクロスが参戦。
 この作品のため作られたマジンガーZの後継機マジンカイザーは後にアニメ化。

・スーパーロボット大戦α外伝(PS)
 名前の通りスーパーロボット大戦αの外伝で、当初3部作の予定だったが、
 1作目が好評を得たため新たに発売された作品。この当時では珍しくオリジナル主人公がいない。
 据え置きゲーム機で初めての援護システム搭載。ザブングル、ブライガー、∀、ガンダムXが参戦。
 また、この作品から主題歌も登場。歌うのはJAMproject「鋼の救世主(メシア)」
 他にもシナリオごとの条件を満たせば難易度が変更され、ストーリーが変化したり、
 2周目の引継ぎ要素も追加。

・スーパーロボット大戦α for Dreamcast(DC)
 PS版のリメイクで、エンディングは新たに作り直された作品。
 戦闘シーンがフルポリゴン、PS版にはなかった合体攻撃システムや、追加ユニットなど、
 リメイクながらも新たに遊びなおせる作品。

・スーパーロボット大戦A(GBA)
 GBAの第1作。ドラグナーやナデシコなどが参戦。

・スーパーロボット大戦COMPACT for WonderSwanColor(WS)
 CONPACTをWSCに合わせたリメイク。

・スーパーロボット大戦INPACT(PS2)
 PS2で登場したスパロボで、WSのスーパーロボット大戦CONPACT2の3作品を1つにまとめて
 新たに作り直した作品。
 スパロボで最も長いシナリオ数に加え、隠しシナリオも搭載。
 同時援護攻撃など、派手な戦闘も売りの1つ。

・スーパーロボット大戦R(GBA)
 GBAの2作目。ギア戦士電童、ネオゲッターロボなどが参戦。

・スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION(GBA)
 アルト・アイゼンやSRX、サイバスターなど、
 バンプレストオリジナルキャラとロボットのみが登場する意欲作。
 この作品から特殊技能による育成が始まり、パイロットの強化に個性が広がる。

・第2次スーパーロボット大戦α(PS2)
 主人公がスーパーロボット系の男女、リアルロボット系の男女と、
 固定主人公ながら選択できる要素があり、また選んだ主人公によって、
 序盤のストーリーや参入するユニットの早い遅いなどに変化がある。
 特に大きな要素として、これまでロボット1体が1ユニットだったのを、最大4体の小隊制に変更。
 使いづらいユニットや、出撃可能数に入りきらないユニットも戦闘に参加できるようになり、
 脇役も日の目を見れるようになる。
 タカラがスポンサーのため、参戦が難しいと思われていたガオガイガーや、鋼鉄ジーグ、
 部連パワードなどに加え、漫画原作のみのクロスボーンバンガードも参戦。

・スーパーロボット大戦COPACT3(WSC)
 ベターマン、エスカフローネ、アクロバンチなど、珍しいロボットが登場する作品。

・スーパーロボット大戦D(GBA)
 マクロス7、真ゲッターロボ、ビッグ・オー、メガゾーン23などが参戦。

・スーパーロボット大戦MX(PS2)
 ラーゼフォン、ゼオライマー、劇場版ナデシコなどが参戦。
 周囲のユニットが同時に攻撃する支援攻撃システムは本作独自。

・スーパーロボット大戦GC(GC)
 ライジンオー、J9シリーズなどが参戦。頭部、腕部、胴体、脚部などのダメージ部位性を採用。
 敵の部位を倒すことで、特定の武器を使用不可にしたり、移動の制限が可能。
 サブシナリオも登場。

・スーパーロボット大戦ORIGINAL GENERATION2(GBA)
 ORIGINAL GENERATIONの第2作。
 第2次スーパーロボット大戦αや、スパロボAなど、新たに登場したオリジナルキャラも多数参戦。
 隠し要素も非常に豊富。

・第3次スーパーロボット大戦α(PS2)
 αシリーズ最終作。小隊システムも引き続き採用。ガンダムSEEDが参戦。
 アニメ、漫画以外にゲームのみのロボット、バーチャロンも参戦。
 
・スーパーロボット大戦J(GBA)
 フルメタル・パニック、アニメからのマジンカイザーの参戦に加え、
 ロボットではなく人間が変身するテッカマンブレードが参戦するなど、
 参加作品の幅が広がる。
 特定作品のパイロット、ロボットが強化しやすくなる、お気に入りシステムも登場。

・スーパーロボット大戦MXポータブル(PSP)
 PS2のリメイク。Jで登場したお気に入りシステムも採用。

・スーパーロボット大戦XO(360)
 Xbox360初のスパロボで、GCのリメイクでグラフィックは大幅向上。
 ネット対戦による、スーパーロボット対戦を搭載。

・スーパーロボット大戦W。
 DS初作品。
 ガオガイガーFINAL、テッカマンブレードⅡ、オーガン、ガンダムSEED ASTRAYなどが参戦。
 2部構成になっており、原作で時間経過した作品の要素を上手に取り入れている。
 オリジナル主人公は、これまでなかった戦艦ロボ。

・スーパーロボット大戦OG(PS2)
 GBAのOG1と2を合わせて、さらに2.5となる追加シナリオも搭載したリメイク。
 気力の上昇によってマップ中に2体のユニットが1小隊となるツインユニットシステムを採用。
 そこにツインユニットの援護攻撃を合わせて、ド派手で強力な攻撃が可能。
 この作品で新たにオリジナルユニットも追加され、これまで声のなかったキャラにも声が付く。
 
・スーパーロボット大戦OG外伝(PS2)
 WSのCONPACT3を軸にしたOGシリーズとしては3作目となるストーリー。
 ツインユニットシステムを引き続き採用。
 いつでも好きな戦闘シーンを堪能できるフリーバトルモード。
 OGシリーズのキャラクターを用いたカードゲーム、シャッフルバトラーも搭載。

・スーパーロボット大戦A(PSP)
 PSP第2作目は、PS2準拠のグラフィックで再現されたスパロボAのリメイク。
 敵撃墜数が特定以上になると、獲得するエースボーナスでパイロットの個性化に成功。
 フル改造ボーナスでロボットの個性化にも成功。
 以後の作品のスタンダートとなる

・スーパーロボット大戦Z(PS2)
 新たなシリーズの開始。
 3体のユニットで構成する新小隊システムはフォーメーション要素があり、より戦略性が高まった。
 オーガス、バルディオス、 ゴッドシグマなど旧作品や、
 グラヴィオン、アクエリオン、エウレカセブン、SEED Destiny、キングゲイナーの新作品まで、
 非常に幅広い作品が新たに参戦。
 新シリーズの主人公は、男(スーパー系)か、女(リアル系)の2人で、選んだ主人公により、
 前半の参加ユニットとストーリーが変わるシステム。
 特に男主人公はオリジナル主人公ユニットで初の回復・補給が可能。

・スーパーロボット大戦Zスペシャルディスク(PS2)
 新シナリオにチャレンジバトル、バトルビューワーなどが搭載された、
 スパロボZのファンディスク的作品。

・スーパーロボット大戦K(DS)
 DS2作目。鋼鉄神ジーグ、ゴーダンナー、蒼穹のファフナーなどに加え、
 人型以外のロボット、ゾイドジェネシスが参戦。
 システムは2体のユニットで1小隊となるパートナーバトルシステムを搭載。

・スーパーロボット大戦NEO(Wii)
 Wii初参戦作品。フルポリゴンの戦闘シーンに従来のスパロボと大きく異なる、
 マス目のないマップを採用。
 参戦作品も、獣神ライガー、NG騎士ラムネ&40、エルドランシリーズ、リューナイトなど、
 本作のみとなるものが多い。
 特に戦闘用ロボットでもなく、自我を持つスポーツするロボット、アイアンリーガーと、
 設定のみしか無い、エルドランシリーズのダイテイオーなどは非常にレア。

・スーパーロボット大戦L(DS)
 DS最終作。劇場版エヴァ、OVAのイクサー1、ダンクーガノヴァに、
 マクロスF、鋼のラインバレルなどが参戦。
 DSでは引き続きとなるパートナーバトルシステムをより強化して採用。

・第2次スーパーロボット大戦Z破界篇(PSP)
・第2次スーパーロボット大戦Z再生篇(PSP)
 久々の前後編となるZシリーズ第2作目。
 トライバトルシステムは無くなり、携帯機としての遊び安さを追求。
 ガンダム00、コードギアス、ダイガード、グレンラガン、真マジンガーなど人気作品に加え、
 これまで参戦が難しいと思われていた、高さ4mほどのロボット、ボトムズも参戦。
 マップに登場しなかったパイロットも育成できるサブオーダーシステムにより、
 控えのメンバーを成長させるシステムが追加。
 再生編では、各作品の続編などに加え、太陽の使者 鉄人28号が新たに参戦。

・第2次スーパーロボット大戦OG(PS3)
 第2次αのストーリーを軸にしつつ、スパロボEXの要素も取り入れたPS3初のスパロボ。
 GBAのスパロボD、PS2のMXからもオリジナルユニットが追加。
 ツインバトルシステムは気力制限なしとなりインターミッションで編成可能に。
 
・スーパーロボット大戦UX(3DS)
 3DS初のスパロボ。システムはこれまでのDSのパートナーバトルシステムを踏襲。
 他にインターミッションで特定のキャラを選択し、マップ中に効果を得られる戦術指揮が登場。
 マジンカイザースカル、リーンの翼、デモンペイン、HEROMANなどに加え、
 まさかのSDガンダム三国伝が参戦。

・スーパーロボット大戦Operarion Extend(PSP)
 ダウンロードのみで各章を配信する形式をとった独自のスパロボ。現在は配信終了。
 最大5機のユニットで1小隊となるグループ出撃システムと、
 WiiのNEOにもあったマス目のないマップシステムを搭載。
 参戦作品が非常に豊富で、ゾイド(1作目)にケロロ軍曹、パトレイバーなどの新規参戦もあり。

・第3次スーパーロボット大戦Z 時獄編(PS3、Vita)
・第3次スーパーロボット大戦Z 天獄編(PS3、Vita)
 PS3とVitaで同時発売、クロスセーブ機能も有したZシリーズの最終作で、
 前作に引き続き前後編で展開。
 今作ではタッグバトルシステムを採用し、サブオーダーシステムも健在で育成がしやすく、
 他にも多種多様なシステムを搭載。
 ガンダムUC、劇場版00、アクエリオンEVOLなど新規参戦。
 天獄編では、トップをねらえ2、翠星のガルガンティアが追加。
 
・スーパーロボット大戦OG ダークプリズン(PS3)
 ダウンロード専売で、スパロボEXでのシュウ・シラカワのストーリーが軸の第2次OGの外伝作。

・スーパーロボット大戦(PS3、Vita)
 追加シナリオに最新機種で描かれたフルカラーとなった、第1作目のスパロボのリメイク。

・スーパーロボット大戦BX(3DS)
 引き続きパートナーバトルシステムと戦術指揮を採用。
 巨神ゴーグ、機甲界がリアン、ガンダムAGEに、ゲーム作品からはマクロス30と幅広く参戦。
 さらに今回は、SDガンダム外伝、騎士ガンダムらが登場するサプライズ。

・スーパーロボット対戦OG THE MOON DWELLERS(PS4、PS3)
 PS4初スパロボで、OGシリーズ4作目。
 ツインバトルシステムなど、従来の据え置きOGのシステムは引き続き採用。
 新たにスパロボGCや、GBAのスパロボJからもオリジナルユニットが参戦。
 
。スーパーロボット大戦V(PS4、Vita)
 2017年発売予定の最新作。
 ゲームでの登場は多くも、原作小説のみしかない、ガンダム閃光のハサウェイ、
 クロスボーンの続編であるスカルハート、鋼鉄の7人。
 勇者特急マイトガインに、漫画原作のみの真マジンガーZERO、クロスアンジュ。
 さらにはロボットは登場しない、宇宙戦艦ヤマト2199まで。


いやあ、各作品の紹介のみで終わってしまいました。
数が多いんですもん。

まあ、またどこかで個々の作品の思い出を語りたいものです。


以上、スーパーロボット大戦でした。


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「し」はJリーグです。

他にも「し」なら、ジョジョの奇妙な冒険、死んでもやめんじゃねーぞ、ジェイデッカー、
真魔神英雄伝ワタルとか、いろいろあったんですが、より多くを語れそうな言葉は、
このJリーグでした。



Jリーグ。

1993年開幕だったでしょうか? 
当たってますね(ググりました)。


当時10チームでスタートした日本のサッカーリーグは、
23年目を迎えた今年、J1、J2、J3までのリーグがあり、全53チームがしのぎを削っています。

J1で18チーム、J2で22チーム、J3で13チームとU-23の3チーム。

このU-23は、セレッソ、ガンバ、FC東京の主に23歳以下の選手で構成されたチームで、
選手に試合経験を与えるために作られたチームです。

キーパーを除いて3名までのオーバーエイジ枠もあって、普段スタメンで参加できない選手や、
ケガ明けのベテラン選手などが出場しています。

まあ、海外のリーグに比べるとまだ少なかったりもしますが、
それでもずいぶんと賑やかになっています。


そんなJリーグですが、サッカーに興味がなかった僕にとっては、
開幕したときも、プロ野球以外のプロスポーツができたんだ、ぐらいの認識しかなく、
今となっては非常に恥ずかしいですが、水曜日と土曜日しか試合がないなんてラクしてるよなあ、
なんて思ったりもしていました。

サッカーは、非常に激しいスポーツで、試合を週1回のペースで行うのと、週2回のペースとでは、
選手のコンディションが落ち込むことに、サッカーに詳しくなってからやっと知った次第で、
まあ無知なわけでした。


そんな感じで傍から見ていたJリーグ。

それでも三浦知良、ラモス瑠偉とか、有名選手のことは知っていました。

大学のコンビニでのバイト先の先輩の石野さんは、
中田がほとんど年も変わらないけど海外で活躍することに興奮していましたけど、
元来サッカーに興味のない自分にとっては特に返す言葉もなく、生返事をしてたぐらいです。


ワールドカップ出場を機に、頻繁にニュースでも取り上げられるようになって、
当時の日本代表の宮本恒靖が、医者かサッカーのどちらか悩んだ末にサッカーを選んだと聞いても、
一人でも患者を救う医者の道のほうを取るべきだろう、と
失礼極まりないことを思ってたりしました。


そういえば、通学途中に見えるヤンマースタジアムの屋根も、大阪ドームかと勘違いしてたりで、
サッカーに対する知識も好意も、共感すらもなかった自分です。



それが『ジャイアントキリング』に大ハマリになってから、すっかりサッカーに魅了されて、
そしてこの年の3月にちょうどJリーグの開幕戦がNHKで中継されましたので、
早速テレビで見ることにしました。

試合は、セレッソ大阪 VS ガンバ大阪。


大阪ダービーです!
と言っても、この時はそんなことまったく知る由もなく、
あまつさえ、ゲストで登場していた選手が海外に移籍していながらも現在ケガで休養中ときいて、
「大丈夫かいな、こいつは」と、とてつもない上から目線でいる始末。

その選手が、実は元セレッソの8番で今も日本代表で活躍する、香川真司でした。

むろん、テレビ画面の向こうの選手がどういった選手かなんて全く知識はなく、
この日に見た大阪ダービーについても誰一人選手のことを知りませんでした。

ただ、Jリーグのクラブについては、ゲームのお陰もあって多少は知っていましたし、
セレッソとガンバについても当然チーム名はわかっていました。

この時、
「これからサッカーを見ていくんだから、1つ好きなチーム、応援するチームを決めよう」
と思いました。

ぜいたくにも大阪には2つもチームがありますから、どちらにしようか、
最初にJリーグに加盟したガンバか、はたまたセレッソか。

それなら、吹田という遠い場所のチームより、自分の家に近いセレッソを応援して行こう。

こんな些細な理由が、僕のセレッソを応援するきっかけでした。


試合はと言うと、2-1でガンバの勝利。
まあ、内容も理解せず、攻めてるぞ、攻められてるぞ、
ゴールを決めたぞ、決められたぞ、ぐらいの感想。

でも、途中で遠藤保仁のPKを、キム・ジンヒョンが止めたとき、
サッカーに無知な僕でもPKを止めることは非常に難しいと知っていましたから、
「凄いキーパーがいるな、試合には負けたけど、やっぱりこれからもセレッソを応援して行こう」
もともと、そんなに思い入れもない状態ですし、負けた悔しさは皆無で、
ヤットとジンヒョンのことも、この時は名前すらも知らない状態でしたから、
とりあえず、逐一ネットとか新聞とかで、セレッソを追っていこう、
それが僕にとってのセレッソに対しての、Jリーグに対してのアプローチでした。



それからすぐでした。

この年は2011年。
そして3月。

東日本大震災。


大阪にいる僕には、東北の被害は映像だけの世界で、
激しい爪痕も、被害の状況も真に実感することも、理解することはできず、
ただ早く復興してほしい、被害にあった人が元の生活に戻ってほしい、
そういう思いでいるだけでした。

ですが、これまでの僕であれば、それで終わっていたと思います。


ただ、この年から見始めたJリーグが、震災によって中断となったことで認識が大きく変わりました。


日常の生活できない人がいること。
それは言わずとも理解できるのですが、サッカー選手がサッカーをできない状況にいる。

それに驚きました。

当然のことなんですが、サッカーに興味を持つまで、
そんな当たり前のことにも気付きませんでした。


そこからJリーグ再開までのことは、安易には容易には書けませんが、
晴れて再開となったときに、テレビでもその中継をしてくれました。

当時、被害の大きかったベガルタ仙台の試合。

そこで試合には敗れたものの、ベガルタの監督が涙して、
またサッカーができることへの感謝を述べていました。

大人の男の人の涙です。
きれいな涙です。みんなの幸せを願って流す涙。

その人は、リオオリンピック代表監督を務めた手倉森監督。
当時、仙台の監督でその人が大勢の人への感謝を述べられたことに、深く感動しました。


そう言いつつも、自分は震災に対して、何かしたのかと言うとまったくです。
ボランティアをしたわけでもなく、救援物資を送った訳でもなく、
ただ被害の状況を見て、こんなことが起こって嫌だなあと、
無責任と言うべきか、そんな気持ちで見ていただけでした。

ただ、そんな震災を経て、非常に迅速な対応と大きな助力を経て再開されたJリーグに、
人の力と思いとを感じました。

(ちなみにスタジアムに行くのはまだ先ですが、
 行くたびにある義援金募金にはわずかですが、毎回募金するようにしています)


この経験が無かったら、もしかしたらそこでサッカー熱は、
単に知識の収集だけで終わっていたかもしれません。

ですが、この手倉森監督の姿と、それからのJリーグを見ていて、
「そこに人がいること」に共感を覚えました。


Jリーグ。

何とか再開の目途も立ち、時には東北復興支援の親善試合も開催され、
Jリーグの楽しさとありがたみも感じつつ、僕自身はまだセレッソの試合結果と、
選手のことを少し知るぐらいでしたが、それだけ興味があるならスタジアムに行こうかと、
中学時代からの友人である鳥山が誘ってくれました。

普段どこにも出かけない、日曜日にダイエットのためにジムに行って、全然痩せないけど、
あとは月に1回はTRPGに出かけるぐらいで、それ以外はもっぱら家でゲームするだけの、
日にも焼けない色白の小太りの僕でしたが(僕ですが、とも言える)、
これについては願ったりかなったり、できれば早々にとも思っていましたが、
向こうの都合が合わずで、10月の予定が11月に、11月の予定が12月となって、
ようやくスタジアムに行くことができたのが、2011年のJ1最終節、
セレッソ大阪 対 アビスパ福岡戦でした。

(これがサッカー初観戦で、それから4年後にも同じチームが1年の最後に対戦するわけで、
 偶然とはいえ非常に感慨深いものを感じたことは、まだ先の話です)



長居駅近くの喫茶店で、開始2時間前に集合。

2時間前と聞いて、なんでそんなに早いんだ、何するんだといいましたが、
早く入って待つもんだと言われたら、こちらとしては全く未経験ですから、
そんなものかと納得して、長居駅に。


当日は小雨が降る中、試合会場のキンチョウスタジアムに向かうと、
セレッソの試合に見に行くらしき人がちらほら。
セレッソカラーであるピクの傘をさしている人を見て「いいなあ」と言う鳥山に対して、
グッズとしてあるのかが分からず、ただ自分もセレッソに関する何かを持たないものですから、
「そうやなあ」と言いながら歩くと、先には大勢の人が。

そして知識だけはすでにあって知っていたスタジアムグルメの屋台もたくさん。

まずはチケットを購入。
初めて見る試合で座る席もよく分かっておらず、高すぎる席もあれ何で、
できるだけ真ん中のほうの安い席と言うことで、アウェイ寄りのカテゴリー4を購入。

そして早速セレッソグッズも物色。
周りがピンク一色なのに対して、自分は何も持たない訳ですから、
とりあえず雨もしのげるピンク色と言うことで、セレッソのポンチョを購入。
(今でも重宝しています)


これでようやく自分もセレッソファンの一員になれたと、心の中での満足感。

そして、まだまだ試合開始までは時間もありますから、
喫煙所で煙草を吸いつつ、滅多にしない自分の写真を鳥山に撮ってもらうという、
何とも言えないはしゃぎよう。

スタジアムグルメについてもすでに目星はつけていまして、ホルモン丼500円を購入。
歯ごたえのある肉に舌鼓を打ちつつ、小雨に振られながらもスタジアムへ。


開始1時間前を過ぎたあたりから選手の練習開始。
この時、初めて見た互いのゴール裏からの大声援。

これがスタジアムかと大興奮する僕に対して、何度もサッカーを見たことのある鳥山は、
やさしくレクチャー。

いわゆる選手の応援、チャントについても、試合中のチャントや掛け声についてもまったく知らず、
ただただ興奮の中にいて、スタジアムの1つ1つに感動していました。


ここまで感動するのは、スタジアム観戦までの期間が長かったこと、
セレッソを応援しようと決めた2011年の第1節から来て、ようやく最終の第34節までと、
待ちに待ったスタジアム観戦と言うことがあって、
それとセレッソについての小さいけど好きだという思いがあったからこそ、いろんなことでも、
ここまで感動で来たんだと思います。


そしてついに試合開始。鳴り渡るアンセムだって当然知りませんし、
タオルマフラーを掲げることも知りませんし、そもそも持ってもいません。

もう周りのファンやサポーター一挙手一投足からして初めてのことですから、
席に座りながら心の中では右往左往。

さらに主審の笛が鳴り試合が始まると、セレッソの怒涛の攻撃で、
目まぐるしく時間は過ぎて、結果は7-1の大勝。


初めてのスタジアム観戦の試合結果が7-1。

鳥山曰く「大当たりの試合」と聞いても、どれだけすごいことかわからず、
ただただ終始興奮しっぱなし。

これだけすごいことを体験してしまうと忘れられなくなり、
そしてもっともっとスタジアムに来たくなる。

でも2011年のJリーグは今日まで。
「次は来年なんて」と残念に思いきや、天皇杯がありました。

天皇杯と言われても、この時はまったく分かっていませんでしたが、
まだセレッソの試合が見れると分かれば、直ぐにチケットを購入。


仕事はしてますが、ほとんど引きこもりの僕が、
サッカーを馬鹿にさえしてた僕が、
この時から一人でサッカーを見に行くようになりました。



今思えば、確かに大当たりの試合でした。

ここまでの大量得点は、国内外問わず珍しいです。

先日の天皇杯1回戦のセレッソの対戦チームは、社会人クラブのアルヴィレオ高松でしたので、
実力差が激しく10-0まで行きましたが、
チームの力の差がある天皇杯でも稀な得点差です。

それを始めて行ったスタジアムで見れたんですから、幸運もあったと思いますが、
何よりセレッソに惹き込まれる、吸い込まれると言ってもいいぐらいのことがあって、
続く天皇杯も毎試合行ったのですが、最後は惜しくも準決勝で敗退。

その時、「また来年もセレッソを応援しよう」と決め、
ファンクラブに入って、年間パスポートを購入しています。


12月にサッカーを観戦してから、翌年にはファンクラブに入るという、
我ながらあきれるぐらいのはまりっぷり。


そこからは何度も言うように、ほぼ毎試合ホームゲームに行ってます。


ちなみに、最初はメインスタンドのやや端っこよりのカテゴリー4の席。
ゴール裏で見るという意味、行為を理解しておらず、一人で寂しく応援してました。

この席で大声を上げて応援する人はいませんから、
それでも何とかセレッソが勝つようにと陰ながら応援していました。


それがゴール裏に行くようになったのは、合コンで知り合ったサッカー好きの娘から、
「そんなに好きならゴール裏がいいんちゃう」と言う言葉。

と、言われても、まだセレッソのサポーターとは呼べない自分が、
ゴール裏に足を運ぶなんて、そんな大それたことは。

そう思っていましたが、体験してみるのも悪くはないかと2012年の天皇杯で、
年間パスポートの使えない試合でしたので、そこでゴール裏に行ったとき、
ここまで思いっきり応援していいのか!と歓喜しました。

こうなると早いもんです。その翌年から、年パスはゴール裏。
それからは毎試合、ありったけの声で応援しています。


そしてセレッソはセレ女ブームがあったり、人気に火がついてチケット完売が何度かあったり、
フォルランが来たり、J2降格があったりと、たくさんのことがありましたし、
これからももっとたくさんのことがあって、それを僕は経験していくと思います。


シャイな性格なんで、スタジアムで一緒に見る人、応援する人はいませんし、
(少し知り合いはいますが、ゴール裏にはいません)
ゴールした時に、周りはハイタッチしてる中、自分はポツーンとしていますが、
それでもJリーグのスタジアムが楽しくて仕方ない。


J2に降格したことは残念ですし、1年でJ1に昇格できなかったことも悔しいですが、
J2のチームをたくさん見れたことは良いことだと感じています。

少ないながらも必死で応援するチームもあれば、逆に浦和のように迫力あるチームもあります。

時には相手チームの選手に拍手を送ったり、相手チームのチャントを歌って称えたり、
(僕はようやらないけど、野次ったりブーイングしたり)
これはスタジアムに行かないと感じられないことです。


負けたときは、自分の応援が悪かった、手を抜いたんじゃないかと悔やんだり、
買ったときは大勢で喜んだり、こんなに一喜一憂できることは、
大げさな話ですが、人生においてもそうそうありません。


いやらしい言い方になるかもしれませんが、
数万円と言う単位ではなく、数千円あれば月に2回はホームスタジアムでこの喜びを味わえる。

むろん野球であればもっと回数は多いでしょうが、
この絶妙な回数も非常に味わい深いものと考えています。




きっかけはほんの些細なことでした。

マンガを読んで、ちょっと興味が湧いて、スタジアムに行ったらすごい試合が見れて、
そこから少しずつですが確実に愛着が増えて、今や人生の一部になっている。


こんなJリーグに出合えて、本当に幸せな毎日を送れています。

ありがとうございます。

これからもセレッソ含め、すべてのクラブ、すべての選手を応援していきます。
もちろん一番はセレッソであることは譲りませんが、
そこから出ることになった選手も、みんな大好きです。応援しています。



以上、Jリーグでした。

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「さ」はサッカー。

最初、佐藤さん、斉藤さんが浮かんだけど、語るべきはやはりサッカーです。


セレッソのホームゲームは必ず行く。

前にも書いたことですが、風邪をひいたときは休むけど、
出張帰りでも行きますし、女の子に振られたときも行くほど、サッカー大好き人間の僕ですが、
実は昔はそれほどサッカーは好きではありませんでした。

どちらかと言うと嫌い?ぐらいだったかも。



小学生時代は、野球よりは参加できる、それぐらいの理由で、
サッカーよりは野球が好きでしたが、それは運動音痴過ぎて、
捕球全般ができないしバッティングもしかり。

ですが、サッカーならまだボールを蹴るぐらいならできて、
あと、フライを捕るときの怖さがサッカーにはないから、
そんな後ろ向きな感じで、サッカーのほうがいいと感じていました。

そんな程度にしかサッカーに思いはありませんでしたし、
小学生で見る機会が多いのはプロ野球で、Jリーグも開幕のずっと前でしたから、
ちょっとオールスターゲームで有名な選手が出たとき、
すごいなあ、ぐらいの感じでスポーツを見る小学生でした。



その時でもすでにスポーツ漫画は多くありましたが、
漫画はサッカーのほうが多く読んでました。

主に『キャプテン翼』、『がんばれキッカーズ』。
あとは小学館の学習雑誌に連載されていた、『サッカーボーイけん』。

この『サッカーボーイけん』は、かなりマイナーで誰も知っている人がいないもんですから、
僕の記憶違いかと心配になるぐらいですが、調べて見てびっくり、
あのど根性ガエルの作者の人の漫画だったんですね。

いやあ、全然知らなかった。

ちなみに漫画の内容は、サッカーの下手な主人公(おそらく名前は)「けん」のサッカーボールが、
落雷か何かで人格を持つようになってしゃべるし、自分でも動くようになって、
サッカーの下手な「けん」のプレイを後押しする、それで「けん」も活躍するんですが、
最終回直前(当時の小学二年生二月号)に落雷か何かで、サッカーボールの意識は無くなり
「けん」がピンチになる。
そして最後(小学二年生三月号)は、たぶんサッカーボールの意識が戻って、試合も勝った。

そういう内容だったと思います。


僕も小さいころから非常に運動音痴でしたから、
このボールがバディとなって活躍する話は、一人っ子だったこともあってか、
楽しく呼んでました。

ただ、1学年上の小学館の学習雑誌では、
絵の格いいサッカー漫画『サッカー少年ムサシ』が連載されていたんで、
1つ上の幼馴染の裕ちゃんがうらやましかったことも覚えています。

裕ちゃんは、小学館の学習雑誌は読んでなかったけど。

『サッカー少年ムサシ』は、確か家が空手の道場で親に空手を強制されて期待もされていたけど、
それよりも主人公のムサシはサッカーが好きで、サッカーで活躍していくという話です。
多分。

空手の技をサッカーのシュートで使っていたかもしれません。
まあ、1学年上の学習雑誌を読む機会は全くなかったので、
全然話は知りませんけど。

(後で調べたら、全然違ってた。
 空手が好きだけど破門になって、スポーツショップの親がそりゃよかったと、
 サッカーをさせるところから始まる・・・)
 

それぐらいが小学生時代の僕とサッカーでした。

それと、前にも言いましたけど『かっとばせキヨハラくん』
最近、何かと物議を醸しだしましたけど、この漫画自体は、
いろんなプロ野球選手を名前程度ですが覚えることができたんで、
興味あるのサッカーより野球、ってな感じでした。



あと小学生の時の4年生から始まる部活にサッカー部はありましたけど、
運動が苦手な僕はそんな「過激で野蛮で危険な所」に入るわけはなく、
4年生、5年生、6年生は、将棋部と美術部と図工部とかだったと思います。



それからサッカーに触れる機会、と言っても漫画とかで読むぐらいですが、
触れる機会は皆無になります。


中学時代で、PCエンジンの「フォーメーション・サッカー」を少し遊んでたぐらいですね。

まだまだ日本でのサッカーが有名になる前の時代、
選べるチームが各国代表で、一番強いチームが青いユニフォームのイタリア。
日本は当時のだと思いますが、白いシャツに赤いパンツのユニフォームで、
一番弱いチームだったと思います。

そういえば、韓国は上下真っ赤なユニフォームで、日本よりもやや強かった気が。


なにせ、PCエンジンは当時のゲームでは珍しく4,5人で遊べますから、
友達が来てはちょこちょこ遊んでました。



それ以降も、サッカーというとちょっとゲームで遊ぶぐらい。

ようやくJリーグが始まりますが興味なく、ましてワールドカップなどは一切見ていませんでした。

「何が面白いんだ、90分の試合で1-0とか退屈だろう」と、
今の自分では考えられない見方でサッカーを揶揄してるぐらいで、
中学からの友人の鳥山が日韓ワールドカップの試合を見に横浜に行くと聞いても、
「馬鹿だなあ」という失礼極まりない思いで見てたぐらいです。

(今はそんなに遠くないけど、神戸や京都にも1人で行ってるくせに、変わるもんです)


ただ、サッカー自体をそれほど嫌っていたわけではないです。
どちらかというと、やれ日本代表だと、これまでサッカーを見てもない人が
急に盛り上がるのを冷めた目で見てました。

そういうお祭り騒ぎ、バカ騒ぎを嫌煙してました。


まあ、今となってはこのお祭りムードも功罪あると思いますが、
なにかしらで興味を持ってくれること自体は、良いことととらえています。
(一時のセレ女ブームだって、少しでもセレッソを好きになってくれるだけで嬉しく思います)


ちなみに、高校、大学時代は、ゲームばっかりやってましたので、
しかもセガサターン派でしたから、当時出たばかりの「サカつく」はもちろん、
プレイしました。
もちろん、ちょっとしかプレイしませんでしたけど。

1年目で挫折、何をしても勝てない。「サカつく2」も買ったけど、直ぐ挫折。
勝手も遊んでないゲームが多いのはこのころから。


あと、アーケードの「バーチャストライカー」をやりました。
セガのサッカーゲームで、短いプレイ時間に設定されていましたが、これは結構好きでした。

よくわかってないくせに、当時読んでいた小説の舞台がウェールズだったんで、
ウェールズを選んで遊んでました。
(『修道士カドフェル』というテレビドラマにもなった中世のミステリー小説です)


と言っても、カプコンの格闘ゲームとかの合間にちょっと遊ぶ程度でしたけど。


サッカーゲームでいうと、このころからコナミの「ウィイレ」が台頭し始めますけど、
セガサターンからのセガ派であって、プレステのない僕にとっては、
セガのサッカーゲームではないものにそそられるわけはなく、
ましてやそれほどサッカーに興味がないわけですから、人気は知っていましたけど、
触れずじまいでした。


社会人になっても、そのまま。
サッカーを見ることもなく、触れることもなく、会社にあるフットサル部についても、
「コンタクトだから運動は無理」と言って断っていました。


それが変わるきっかけとなり、今に至るようになったのは、
NHKで始まったアニメ「ジャイアント・キリング」を知ってからでした。

そもそもがNHKでアニメ、しかも幼児向けの「忍たま乱太郎」や「おじゃる丸」などではなく、
週刊モーニングに連載されている漫画、いわば青年誌の漫画がNHKのアニメになると聞いて、
それはもしかしたら、さぞ凄いのではないだろうか?

幼児向け、児童向けではないNHKのアニメは「不思議の海のナディア」をすぐ思い出します。
ガイナックスの出世作?と言うぐらい出来栄えの素晴らしアニメでした。
主題歌も良かった。

そしてそのあとに始まったのが「青いブリンク」
失礼ながら手塚治虫の漫画は面白くないなあと、くそ生意気なことを言ってましたね。
下の毛も生えてないくせに。
(若さ故の過ちならぬ、誤り)


閑話休題

この興味から、アニメ「ジャイアント・キリング」を見たことで僕のサッカー熱は沸騰します。

どれぐらい沸騰するかと言うと、見返してみたら、
2011年の1月23日にジャイアントキリングを6巻まで買って、1月26日には12巻まで、
1月28日には18巻まで。5日間に1巻から最新刊まで買ってるんです。困った大人だ。

で、今は新刊が出るたびに楽しみして買って読んでます。


そしてこの年から、Jリーグにも興味が出始め、
ここに来て初めての、テレビですけどサッカー観戦をすることになります。


それについては、明日の「し」はJリーグで。
(予告しました)


以上、サッカーでした。

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「こ」はコロコロコミック

ナイツ的に言うなら、こくちこくちコミックのあれです。


小学生時、小学館の学習雑誌を毎月買っていたのでお利口さんの僕ですが、
その表紙に必ず登場するドラえもんが、違う雑誌の表紙に登場していて、
興味を持ったので買ってもらいました。

その時に読んで驚いたのが、ドラえもんの映画の原作が連載されていたこと。
まだ藤子F先生が生きてらっしゃったとき、ドラえもんの劇場版は、
大長編ドラえもんとして毎年漫画を掲載されていたんです。

ちなみに、その時の映画は「のび太と鉄人兵団」の最後のお話。

鉄人兵団が徐々に押し寄せてくるなか、慌てるスネ夫と意気込むジャイアン。
そしてドラえもん、のび太の4人が鉄人兵団を相手に、
秘密道具で戦うという他のドラえもんの映画でも、非常に勇ましい作品のラストでした。

しずちゃんは、別行動でしてそれが結果、戦いを終わらせる活躍をします。

あと、アニメではしずかちゃんですが、漫画ではしずちゃんです。


その後、毎年ドラえもんの映画公開が近づくにつれて始まる、
大長編の原作は非常に楽しみにしていました。


コロコロコミック。

今でも言われない呼び方と思いますが、いわゆるジャリマン。
対象となる読者が児童ですから、おもちゃというよりはホビーとの提携が多くありました。

僕が最初にコロコロコミックを読んでいたときにあったホビーはラジコン。
田宮模型のRCでした。

とはいえ、自分で作って、しかもそれを上手に走行させる。
当時はタミヤRCカーグランプリというテレビ番組もありましたが、
まずラジコン自体が高価で、それを失敗せずに完成させること、そして
スピードを出して走らせるわけですから、高値の花と言うか、もう別次元に見えていました。

おそらく同じ感じで見てた子供も多かったようで、
それからしばらくしてミニ四駆が登場し、今もまたブームとなっていますから、
鮮やかな商売と思います。

鮮やかは関係ないかもしれませんが。

ただ、このミニ四駆も早く走らせるということに、なんだかハードルを感じてしまい、
ちょっと手を伸ばしただけでのめりこみませんでしたけどね。

ラジコンの漫画は、ラジコンボーイ。
連載途中から、スーパードラゴンという新しいマシンが登場し、
その後ファイヤードラゴン、サンダードラゴン、セイントドラゴンと登場し、
果てはラジコンで命を懸けて戦うという、まさにジャリマンらしいジャリマンでした。

ミニ四駆は、ダッシュ四駆郎。
実際のミニ四駆のレースはコースを走らせますが、
漫画ではホッケーのスティックでミニ四駆を操作しながら一緒に走るという内容でした。

登場人物は、主人公の四駆郎、タンクロー、シンクロー、パンクロー、輪子さん。
登場するミニ四駆は漫画オリジナルで後に発売もされましたが、
皇帝(エンペラー)、太陽(バーニング・サン)、流星(シューティングスター)、
弾丸(キャノンボール)、ダンシングドール。

ちょっと英語を覚えることができました。


あと、ファミコンも外せませんね。

コロコロコミックはハドソンの情報が多くて、
そのせいで、「ボンバーキング」、「新人類」というアレなゲームも迷わず購入したぐらいです。

ボンバーキングは、自分の爆弾ですぐ死ぬんです。もう本当に1面から遠慮なく。
自分が爆弾を置いて、その場から移動しようとしたら、敵の弾に当たってひるんでしまい、
爆発に巻き込まれる。ボンバーキングは自爆王でした。

新人類もアレなゲームで、原始人が投石、石斧、ブーメラン、火の玉と
まさに原始人の進化のごとく武器が進化して、最後は長州力になるという、
強制縦スクロールのアクションゲームでした。

いわゆるバカゲーですが、まったく先に進めることができませんでした。


それはさておき、ファミコン。

当時はアクションゲーム、シューティングゲームが主流でして、
そのファミコンの漫画、ファミコンロッキーもとっても動きがありました。

画面いっぱいの敵に対して、ゲーム拳必殺五十連打で乗り切るとか、そんな漫画です。
四方八方からピッチングマシーンでボールを飛ばし、それを受けきる訓練とか、
まあ何でもファミコンで決着するんで潔いマンガでした。

それから、最終回で取り上げたファミコンソフトは、ハドソンの「ヘクター’87」。
キャラバンシューティングの3作目と言うことで、コロコロコミックでも記事で取り上げられていて、
もちろん僕も買ってもらいましたが、まあ如何せん非常に地味なシューティングで、
前のキャラバンシューティングの「スターソルジャー」みたいにパワーアップはなく、
対空攻撃は前方のみ、それと対地攻撃。時期も戦闘機と言うより、
こじんまりした一人乗りのスタートレックみたいなやつ。

白い前方後円墳と言ってもいいぐらい。

これはキャラバンシューティングが、制限時間以内に如何に得点を稼ぐかを主旨にしていたため、
派手な攻撃やボムでの緊急回避もなく、いかに正確に敵の配置を覚えて早く倒すか、
得点の高い敵、地上の隠しキャラを狙うかに特化しておりまして、
ゲームも本番のキャラバンシューティング用に2分モードと5分モードだった音もいますが、
今のシューティングゲームでも珍しいモードも用意されていました。

まあ、そんな地味なゲームですがファミコンロッキーの中では激しく競われていました。
話の中で主人公が目を負傷してしまい、ヒロインの指示で自機を操作してプレイするんですが、
最後の最後に大音響で耳が聞こえなくなってしまうという、とんでもないピンチを、
なんともすごい必殺技で乗り切るというラストを迎えたのを覚えています。

あと、ファミコンの試合だけど、タッグ戦で相棒が痺れ薬のせいで倒れてしまうとか、
こちらもジャリマンの鏡ともいえる素晴らしい展開でした。


ホビーと少し毛色は違いますが、ビックリマンシールも取り上げられました。
シールの人気もあって、ビックリマンのストーリーを漫画にして連載されていて、
アニメではヤマト皇子が主人公ですが、こちらの漫画は終始スーパーゼウスが主人公で、
設定どおりにスケベなのはともかく、児童漫画でジジイが主役と言うところに、
なんだかなあと思いながらも見ていました。

まあ、それが今では違う爺さんの漫画がコロコロに出てきたんだから不思議なものです。


当時のホビーでも、ガンダムはボンボンが取り上げていましたので、
コロコロは当時トミーのゾイドが扱われていました。

小学館の学習雑誌のほうでは、ゾイドのジオラマとともに、
ゾイドバトルストーリーという非常にミリタリー色の強い、作りこまれた記事もありました。


まあ、いうなれば、ガンダム(バンダイ)=ボンボン(講談社)に対して、
ゾイド(トミー)=コロコロ(小学館)と言う構図になりますが、
それが今では、コロコロにもガンダムが登場したりするんで、驚きです。


コロコロには、ホビー以外の漫画もありました。

メジャーどころではおぼっちゃまくん、つるピカハゲ丸、ドッジ弾平。
超人キンタマンは名作ですね。

大学時代のバイト先の友人、マツさんが大人になってから読んでも面白いと太鼓判を押してました。

それから今は言いづらくなったけど、かっとばせキヨハラくん。
デフォルメしすぎの誇張しすぎな選手ばかりでしたけど、
この当時、野球に興味を持てたのはこの漫画のお陰です。


それと忘れちゃいけない、がんばれキッカーズ。

小学生のサッカー部漫画です。
主題歌西村知美でアニメ化もされて、アニメは原作よりもキャラデザが少し雑な感じでしたが、
結構熱心に見てましたね。


そして甘いぞ、男吾。何よりもこの漫画が大好きでした。

いわゆる番長タイプの主人公の漫画ですが、
勉強はできないけど運動神経抜群で、ケンカが強い、
情に厚くて曲がったことは一切しない、誰かのためならいくらでも頑張る、
そんな熱い小学5年生、巴 男吾が主人公の漫画です。

どれくらい好きかと言うと、もう僕の中でのバイブルでして、
今でも行ってきますの挨拶は、男吾と同じ「行ってまいります」、
ただいまの挨拶は「ただいま帰りました」ですし、ご飯粒は1つも残さず食べます。

大袈裟ですけど、この漫画が無かったらガリ勉だけで、
挨拶のちゃんとできない人間になっていたかもしれません。

それぐらい影響を受けました。


結局、小学校の2年生の3学期から小学校を卒業するまで、毎月コロコロコミックを読んでいました。

月刊誌と言うこともありますから、次月号が出るまで何度も何度も読んでました。
もう隅から隅まで、漫画の余白に描かれた登場人物の紹介はもちろん、
新刊案内、同じ小学館の雑誌の紹介、隅から隅まで逃さず読んでました。

そのせいもあって、コロコロコミックの増刊号の存在も知ってそれも買ってもらいまして、
最後のころは毎月コロコロコミック、2か月に一度の別冊コロコロコミック、
春、夏、冬休みに発売されるコロコロコミック増刊号と、
1年で21冊コロコロを読んでました。

まあ、それだけコロコロコミックに浸かってましたが、中学生で卒業しまして、
その後に来るポケモンブームや、爆走兄弟レッツ&ゴーは読まずでした。
知ってますけどね。


まだまだ語ることはたくさんあります。

新人作家の漫画賞受賞作品は、阪神タイガースのバースがロボットという設定で、
そのせいもあって阪神は大躍進を遂げるけども自打球で足を故障して、
先は危ぶまれたものの最後にホームランを打つとか。

リトルコップという刑事漫画、カンフー漫画 獅子王伝、
サイボーイと言う小学生だけどアンドロイドで返信して凶悪事件に立ち向かうとか。

別冊コロコロや増刊号だけの連載だったけど、
クッソ・マジーメ回路を搭載されたアトムみたいな少年ロボット教師の漫画、
今思うとロボットが登場する学校ものが多いけど、そこはやっぱり児童漫画だからですね。


あと、ハドソンがらみで高橋名人の漫画も多かったです。
当時のヒーローですね。幼い時のエピソードとか思いっきり誇張してたり、
めちゃくちゃでしたけど、気にせず読んでました。

ガリ股を治すため、狭い路地を走ったら塀を破壊しながら進んだとか、
限られた時間にセミをとるため、うんこを投げて捕まえたとか。

言っても漫画雑誌ですから、漫画の話ばかりでしたけど、
その中にあってもファミコンやビックリマン、ミニ四駆と子供が好きなものを紹介し、
いまでもずっと愛され続けている雑誌です。


以上、コロコロコミックでした。

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「け」は健勇。


「ラララ、ラ~ラ、すぎも~とけんゆ~う、見せてくれ~よ、お前のゴ~ルを、
 おれ~たちが~付いて~るぜ、ラララ、ララララ、ララ、けんゆ~~~、Let's Go!」
の健勇、セレッソのFW杉本健勇です。


ここに来て、ようやくサッカーの話がまともに出てきました。
それまでのマニアックな話ばかりで情けない。


さて、杉本健勇。


健勇のことを覚えたのは、セレッソのサポーターになった2011年の天皇杯。

この年はサッカーに興味を持ち始めて、ネットや新聞などでまめにセレッソのことを調べ、
そしてリーグ戦の最終節で初めてスタジアム観戦をして、
さらにはその試合が7-1の圧勝という結果でしたので、その直後の天皇杯からこれまで、
風邪の時以外は、女の子に振られた日も必ずホームゲームで観戦、今は熱烈な応援をしています。

それで、この2011年の天皇杯ですが、健勇は4-2-3-1の1トップでした。

この年のセレッソは清武、キム・ボギョン、倉田秋の3シャドーが縦横無尽に駆け回り
ゴールを量産するシステムと本とかネットで知りまして、
攻撃の要は2列目なのですが、その前に立つ選手の意味も多少の知識では理解しており、
前でキープする役目、そしてゴールもする役目と3シャドーを活かす存在が、
1トップであると認識していました。

そのポジションに立っていたのが当時18歳の杉本健勇。


ただ、この最初の出会い(?)は、その若いFWを起用することを不思議に感じていました。

と言うのも、試合開始から何度か、前にいたまま戻らず走らず、
かといって攻める際の存在感もなく、なぜこの選手を使うのかが分からなかったからです。

高さは十分にありましたが、それで何かしてくれることもなく、ただいるだけの存在。


これは後から知ったことですが、健勇が非常にポテンシャルが高い選手であって、
成長を促す意味でも起用されていたようですが、それを知らないわけですし、
知っていたとしても目立つことのない1トップにもっと頑張ってほしいなあ、
そういう思いで見続けたことが、健勇を覚えるきっかけでした。


ちなみに健勇がサッカーを本格的に始めたのは中学生からと、
他のサッカー選手に比べて圧倒的に遅かったにもかかわらず、
それでいてプロサッカー選手としてプレイしているわけですので、
それだけで非常にポテンシャルが高いことを示しています。


それからですが、セレッソのことを知っていくうちに、
健勇がセレッソのユース上がりの選手で、同じユース上がりのFWには、
1つ年上で今、長崎で活躍する永井龍や、すでにレギュラーで活躍する
山口蛍、丸橋祐介、扇原貴宏らがいることも知りました。

ファンとしてサポーターとして、こういう生え抜きの選手を知っておかないといけないですし、
できれば彼らに一番に活躍してほしいと、自然と思うようになりました。


とはいえ翌2012年、この年は外国人FWケンペスのスタメンが多く、
健勇の出番は限られていました。

ただ、この年はロンドンオリンピックがあり、そこへはセレッソから、
清武、蛍、扇原、さらに韓国代表としてキム・ボギョンが招集されました。

またオリンピック代表には、各クラブ3名までの縛りがあるらしいのですが、
(ボギョンは韓国代表なので対象外)
そんな中、健勇は自身の向上とオリンピック出場のために、
J2の東京ヴェルディに期限付き移籍を行います。


今のチームでスタメンになれず試合に出られないことと、
オリンピック代表に選ばれるための決断に対しては、
セレッソの選手として試合に出れないことは残念ですが、
期限付き移籍なので帰ってきてくれるわけですから、
ここは是非とも「手放したくない」と思われるぐらいにヴェルディで活躍して、
オリンピック出場選手に選ばれてほしいなあ、という気持ちで見ていました。


その結果はご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
ヴェルディでも活躍してオリンピック代表にも選ばれ、
オリンピックの試合ではあまり出場時間が長くはありませんでしたが、
しっかりと期限付き移籍で成果を出し目標を達成した訳ですから素晴らしい結果です。

後は早くセレッソでも活躍してほしいと願いましたが、そうことがうまく運ぶことはなく、
目立った活躍も少ないまま2012年を終え、代わりにこの年に徳島から帰ってきた
柿谷曜一朗がその才能を余すことなく発揮し、セレッソの顔として輝くことになりました。



この年だったか、その翌年だったか、時期に関しての記憶はあいまいですが、
健勇が出場した試合でゴール裏から「健勇、走れ~~!」と言う
ヤジにも似た声を聴いたことは、はっきりと覚えています。

これは人の容姿に対する悪口になってしまうのですが、声の主は10代と思わしき女の子ですが、
その子の体系が非常に、とても、ものすごく、まあ何というか”ぽっちゃり”でして、
自分は歩くのもやっとな体なのに、健勇に対して「走れ!」と罵っている。

「お前が言うんかい」とツッコミ、もしくは「お前が言うな」ときつくツッコミたくなったので、
その瞬間はなんとも忘れられない情景でした。


それでも2013年は、当時の香川真司が所属する、
マンチェスターユナイテッドとの親善試合で、柿谷、山口、扇原らがA代表で不在の中、
健勇は見事にゴールを決めて、その秘めたる才能を垣間見せるシーンもありました。

とはいえ、特に結果がすべてであるスポーツの世界ですから、
まだまだ健勇の活躍は少ないままでした。



2014年は、ご存知の方も多いディエゴ・フォルランが加入した年。
その年のセレッソ応援番組「ゴラッソ・セレッソ」で、
強力なFWの加入に対し、素直に自分の活躍が危ぶまれると漏らしていましたが、
その言葉通り不完全燃焼のままシーズンを終え、さらにはチームもJ2降格となりました。

このJ2降格については、別に健勇自身には問題がなく、
当時のフロントの方針が悪い方向へと進んでしまい、
前年から受け継いできた戦術の崩壊と1年のシーズンで2回の監督交代で、
これまで培ったものがなくなり、かつそれに代わるものを生み出せなかったことに起因します。


ここまでで健勇については、出場試合数で見れば悪くはないのですが、
FWとしてやるべき仕事、ゴールが多くなかったため、活躍は「少なかった」状態でした。

そのせいかもしれませんが、健勇のゴールはスタジアムが大きく湧きました。
残念なことにゴールが少ないわけで、その分決めたときのサポーターの喜びは
自然と大きくなっていました。



ですが、2015年、クラブ生え抜きの健勇は川崎フロンターレに完全移籍しました。


これを裏切り行為と呼ぶ人はとても多くいました。

これまでクラブに育てられた選手が、J2に降格したタイミングでJ1のチームに移籍する。
「許せない」と叫ぶ人もいました。


ただ、僕はそうは思いませんでした。

仮に「明日から給料を2割増し払うんで来てください」、と別の会社から誘われたら悩みます。
「倍の給料を払うんで来てください」と言われれば、条件を確認したうえで転職します。

ですから、健勇が移籍することは、特に短いサッカー選手生活の中で自分の価値を高めるため、
最善のことをしたまでだと考えています。

それでも残るべきだ、残ってほしいというのはファンの思いです。
ですが、出場できないチームで無為な時間を過ごすならば、
一念発起して新たなクラブで自分を試すことは間違っていないはずです。


もちろん僕自身の気持ちとしては、寂しく思い、そして残念でもありました。


ですが、この時の健勇がセレッソで一番のFWかと言えば、そうではありませんでした。
このままセレッソにいて強くなれるかと聞かれたら大丈夫ですとは、答えられませんでした。

ですから、全く違う場所で新たに活躍できるように移籍するという判断は、
批判や不満を口にするのではなく、応援するべきだと感じました。



ただし、その2015年の健勇の活躍は、主に試合結果だけでしか見ていませんが、
大久保嘉人という確固たるFWを脅かす存在になることができず、
これまでのシーズンよりゴールは多かったものの、悔しい思いをした1年だったようでした。


そしてセレッソは惜しくもJ1昇格ならずで迎えた2016年に、
驚いたことに健勇がセレッソに帰ってくることになりました。



それにはまた、一部のサポーターのなかで盛んに議論が溢れ出てきました。

裏切ったやつが何をしに帰ってくるのか、
フロンターレで活躍できなかったから逃げてきたのか、
中途半端な奴だ、そのような声が多かったと思います。


僕自身、復帰することについて悪く感じることはなかったのですが、
逆にうれしくもあったのですが、健勇の活躍については不安はありました。

まず、柿谷曜一朗が同じく帰ってきていること。これでFWの枠は1つ埋まっている状態です。

そして2015年から加入した、玉田圭司、田代勇三、さらに新たに加入した外国人選手。

厳しいレギュラー争いを強いられるわけですから、
帰ってきてくれたことは、曜一朗に対して同様に非常にうれしくも、
 


そして今日にいたります。

曜一朗の負傷により心配されたセレッソの攻撃は、
今、健勇が背負っています。


試合で見せる姿は、時に鬼気迫る表情を見せ、悔しいという気持ちは隠すことなく出します。
時に理不尽なサポーターの揶揄に対しては、憤りを見せ、怒りをあらわにします。

それは、この年の途中からのまだ十数試合のことですが、
かつて健勇を初めて覚えたときの、あの頼りなかった時から、
大きく飛躍した姿をピッチで見せてくれます。


つい先日、試合中に肋骨の骨折がありましたが、
曜一朗ともども早くピッチに帰ってきて、僕たちを勇気づけて欲しいと思います。

その代わりになるかはわかりませんが、
出せる限りの声でゴール裏から後押しして行きます。



一流なるためには、時間にして10,000時間が必要だそうです。
他の選手よりも遅くサッカーを始めた健勇は、ようやく10,000時間を迎えたのかもしれません。

悪い言い方をしましたが、ただいるだけのFWが今は欠かせない存在です。

一時は代表選手としても選ばれたこの選手は、これからもっとセレッソの中で、
そしていつかは代表選手としてより高く飛躍してくれると信じています。


「けんゆう、けんゆう、けんゆう、けんゆう、ゴ~~、
 けんゆう、ゴ~~、けんゆう、ゴ~~オ~~!」


以上、健勇でした。




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プロフィール
HN:
ふるた
年齢:
47
性別:
男性
誕生日:
1977/11/24
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